春とヒコーキ土岡哲朗

スター・ウォーズ/最後のジェダイの春とヒコーキ土岡哲朗のネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

神話の破壊。

(2017年、公開初日に観た感想です)

シリーズを壊す問題作。それを最も象徴するのは、まっすぐな希望の体現者ではなくなってしまったルーク・スカイウォーカーだ。ダークサイドの力に怯える彼の姿に我々は幻滅するが、彼自身も、正義が完全勝利することがないと悟って世界に幻滅している。勇敢なヒーローも、それが報われる世界も、存在しなかったことになった。ルークと対面したレイも、我々観客も、裏切られた気分になる。
しかし、このエピソード8、「神話を壊す」ことこそがテーマ。美化された神話、出来上がったセオリーを壊す、創造の前の破壊。『エピソード7/フォースの覚醒』は旧作の世界観を汲みながら、新世代のキャラクターの冒険で若者の挑戦を推奨する、健全なエピソード4的精神だった。今回は、もっと過激で、もっとはっきりとした宣言。「先人たちが積み上げた過去を超える存在になる」。その方法として、過去の神話を破壊することを選んだ。今回のスター・ウォーズ、その矛先は、「スター・ウォーズ」。


衝撃、レイ。
レイは、フォースに目覚めた自分は一体何者なのか、その自分探しの答えを、ルークという他人に求める。伝説の人なら私を導いてくれる。しかし、ルークもまた悩みを抱えた生身の人間で、レイは望む答えをもらえない。世界に、先人が既に明確な答えを出してくれている問題などない。
製作スタッフだって、過去のシリーズを作ったルーカスたちがか出した答えを拝借して、そのまま良い映画が作れるわけない。自分たちがもがいて悩まなければいけない。

そして、三大衝撃①、レイの親は何者でもなかった。大方の予想はルークの子供で、もしかしたら皇帝の孫というダークな展開も予想されていた。しかし、彼女は「名もなき人」の子供。何も、特別じゃなかった。レイ自身もそれを分かっていながら、受け入れてこなかった。カイロは彼女に言う、「お前はこの話にいなかった」。スター・ウォーズは、スカイウォーカーの血をひく者のサーガだった。そこに、何者でもない親から生まれた、特別な背景を持たない人間が入る余地はなかった。しかし、カイロは続けて言う、「今はちがう」。レイは、もう立派な主人公だ。悩みながらも正義であろうとし、怖がりながらも冒険をするレイは、前作と今作で、我々にとって主人公になっている。誰でも、壮大な宇宙の主人公になっていいんだ。


衝撃、カイロ・レン。
前作で父親ハン・ソロを殺したカイロ・レン、本名ベン・ソロは、前よりも激しく深い悩みの中にいる。ソロを殺すことで闇まっしぐらになれると思っていたのに、父親を殺してしまったことに動揺し、かえって闇に染まれない自分に気づき、苛立つ。(7でライトセーバー初心者のレイに負けた理由をこの動揺としたフォローは上手い。)
ハン・ソロが手を差し伸べたことで救われたレイと、そんな彼を殺したカイロ。先人に気に入られてその恩恵を真正面から受ける人と、迎合したくない気持ちをこじらせ自分の道を進む人。先人が築き上げた世界の中でののし上がり方が対照的な2人。しかし、どちらにも共感できる。(なんなら今作では、受け身なレイより、自ら進むカイロの方が格好いい。)
そんな2人は敵同士だが、表裏一体。レイが途中からカイロ・レンと呼ばずに「ベン」と呼んで、ありのままの彼を見ていることも、(そして2人が恋人のように見えてくることも、)光と闇の境のなさを表している。人間が変わりたい・強くありたいという願望で生きるとき、その思いが焦りとなり、光から闇へと堕ちる瞬間はある。そんな鏡像関係だ。

そして、カイロ・レンが出した答えは、三大衝撃②、スノーク殺害である。前作で登場し、正体は一体誰なんだ、実は生きていた皇帝か、とも思われていた悪の親玉を、正体の説明などなく、あっさり殺した。「こいつが誰かなんてどうでもいい。おれが勝つ」という勢い。カイロ・レンのマスクも序盤で破壊しているが、それもスノークも、J.J.が用意したものを簡単にぶち壊して、自分の映画にしたライアン・ジョンソン。旧シリーズどころか今の三部作のバランスさえもぶち壊してキャラクターを描く、剛腕展開。そしてカイロ・レンは「シス、ジェダイ、スカイウォーカー。もう何も関係ない。おれが最強になる」と誓い、ファースト・オーダーの新しい最高指導者になる。歴史上の強者や、今までのスター・ウォーズの設定をぶち殺して、おれが勝つ、と宣言。物語上は暴走に映っているが、ヴェイダーを失ったスター・ウォーズファンにとっては応援したくなる最高の新悪役が誕生した瞬間。そんな姿に、同世代として勇気を与えられる。


衝撃、ルーク・スカイウォーカー。
7も「過去のレジェンドたちに負けず、自分たちの世代で新たにかまそうぜ」という精神が、キャラクターから溢れていた。ライアン・ジョンソンは、伝説の実態は思っていたほど格好良くない、というストーリーを描いた。ルークは、かつてのようにフォースと勇気で何でもできるとは思っていなかった。期待していた格好いい人物ではない。「ダース・ヴェイダーを生み出したのもジェダイマスター」と、恩人オビ=ワンのことさえ悪く言う。世界に幻滅し、他人を幻滅させるルーク。かつて「希望」を象徴していたルークが今象徴しているのは、「幻滅」だ。崇められるような功績を残した人物でも、当人は悩んでいる。

三大衝撃③、カイロ・レンが誕生したのは、ベン・ソロの闇に怯えたルークが彼を殺そうとしたからだった。かつてアナキンをダークサイドから救った彼が、年を取り、恐怖心に飲み込まれ、迷える少年を殺そうとした。その瞬間、ルークはダークサイドに堕ちていた。ルーク・スカイウォーカーでも、そこまでぶれる。今回の映画は、若い主人公たちだけでなく、ルークの新たな試練と解決の物語でもある。

伝説の人物なのに悩むことが、彼の悩み。かつて何かをやり遂げた人間であっても、何が正しいか分からず、人生を攻略することなどできない。それで若者に頼られても、本当は輝かしい道なんてないんだよ、という夢のないことしか言えない。ジェダイはこうあるべきという理想が強いため、実際のジェダイは誰もそんな立派になれていない、「歴史を顧みても、ダース・シディアス1人に滅ぼされるような集団」と強く失望している。ならば、そんな実現もできない理想は、滅んでしまえ。そう思ったルークは、ジェダイオーダーから伝わる書物と神木を、投げやりに燃やそうとする。しかし、捨てきれない「憧れ」と責任感で、やはり燃やせない。そこにヨーダが現れ、書物と木を燃やし、「そんなものはただの本だ」と言う。ルークが完璧でないように、聖典だって絶対的に正しいものではないはずだ。これは、過去作のプレッシャーと戦うライアンたち現スタッフの、「スター・ウォーズは、ただの映画だ」という解放。理想というプレッシャーから解放され、他人にも自分にもそれを押し付けない。ただ自分の学んだことや失敗を教えればいい。「マスターは、弟子が超えるために存在する」。伝説の生き残りというプレッシャーの中にいる弟子ルークに、ヨーダは優しく教える。ルークは、自身が完璧でないことを受け入れ、かつて傷つけた弟子・ベンと、新たなる希望・レイに、自分なりの道を示しに行く。ルークは幻滅をやめ、皆が求める伝説になることを引き受けた。そして、宣言する。「私は、最後のジェダイではない」。レイが新たなジェダイになる。時代が変わっても若者が夢を見るのは変わらない。そのメッセージは、若者を奮い立たせると同時に、「先人」にも希望を与える。「かつての自分と同じように、若者は希望を持っている。そんな世界、あなたも希望を持てるでしょ?」

ベンはスノークを殺したのと同じく、ルークを殺して先人超えを達成しようとする。だが、ルークは彼を翻弄し、最後は自分で力を使い果たして死ぬ。これでベンに、「先人を超えられずに勝ち逃げされた」というトラウマを与えた。スノークを殺して最高指導者になった勢いもかっこよかったが、それを超えて先人の勝ち逃げをするルークもかっこいい。


問題作の「問題」の答え。
レイは「この話にいるべき人間」じゃなかった。カイロ・レンはスノーク殺しを通して、物語のセオリーを殺した。ルークは我々を幻滅させた。でも、その先にはすべて、「定石通りになんかいかせない。輝かしい過去を葬って、おれたちでもすごいことができる」という勇ましいメッセージがある。
こんな風に「ぼくにもできるのかな……。ぼくもすごい冒険をするんだ」という気持ちを表していた映画とは何か。『スター・ウォーズ エピソード4』だ。破壊の先に創造されたのは、まさしく『スター・ウォーズ』だった。


やはり、魅力的なのはキャラクターたち。ハックス将軍のヘタレキャラ。カイロ・レンのライバルの官僚キャラだったハックスが、今回はスノークやカイロにビビっているヘタレ野心家になっていて、笑えて、かつ気になるキャラクターになっていた。ファズマは、もうこのくらいの扱いのキャラなんだなと割り切って、彩りとして楽しめた。思い返せば、ボバ・フェットだって、出番はあんなもんだ。アップのカットで、武器の青い閃光が銀色のヘルメットに反射した画は格好いい。新キャラクターのDJは、善悪論において重要な側面の担い手。フィンが自分の率直な正しさで動くのに対し、DJの信条は「この世にはからくりがある。それに振り回されるくらいなら、本気になるな」。彼によって、シリーズで初めて、武器商人について劇中で語られたが、ファースト・オーダーにもレジスタンスにも武器を売って儲けている不届きがいる。DJは「世の中、そんなもん」ということをフィンに示そうとする。日和見主義の、アンチロマンチスト。

一長一短な脚本。
「すばらしい。全部まちがっている」というルークのセリフが格好いい。一度目はレイへの嫌味で使われて、観客もがっかりさせるような言葉だが、二度目は、カイロ・レンの卑屈をはねのけ、彼を手玉に取る言葉として用いられる。そのフリオチに気持ちよく痺れさせられた。
フィンとローズが、マスター・コードブレイカーに気づいてもらえないというスカし方は、脚本の自由度も感じたし、「一切筋に絡んで来ないけどこいつはこいつですごい奴」というスター・ウォーズ特有の「世界観広く見せ芸」にもなっている。今作で重要なことは全て、レイ、カイロ・レン、ルークのパートで語られており、フィンの冒険パート、ポーの闘争パートは、暗いメインパートの合間で軽快に観客を楽しませる役割。なので、瞬間的に見栄えがよければいい、とも思うが、そのフィン側、ポー側の物語が、レイたちのメインプロットにまったく影響がないのは悲しい。フィンパートとポーパートは影響し合っているが、その二つがレイパートには影響しない。フィンたちは任務失敗、ポーの戦いはホルド提督が実はいい人だったと判明し無駄な行動に終わってしまった。単体の目標が達成されないなら、せめてレイの物語のお膳立てになってほしかったかも。

アクション。最初の戦争具合がリアル。レジスタンス側も乱暴な武器を持ち、えぐいことをしているな、と感じる。ホルド提督が、ハイパードライブを使ってスノークの船「スプレマシー」をつんざく画は格好良かった。ベンがスノークを殺してからの、レイと背中を預けってのバトルは、一番ワクワクした。その後、結局ベンはダークサイドなわけだが、次回は本当に心から共闘するのが見たい。クレイトの戦いでの、カイロ・レンに対するルークが格好良かった。

ライアンがかます「らしくなさ」。「私は、最後のジェダイではない」とサブタイトルを、覆すためのモチーフとして使った。エンディングは、ちょっと出てきただけの子供がレジスタンスに憧れて、ラストシーンを迎える。この、大事なところを部外者でかましちゃう辺り、好き。そこでエンドロールが始まり「監督 ライアン・ジョンソン」と出たところで、こいつ、自分の好きに映画作りやがったなぁ、とニヤついた。
だが、戸惑う「らしくなさ」もある。ユーモアがちょっと乱暴かな。ルークのライトセーバー放り投げは、映画の序盤じゃさすがに笑えず。真面目なトーンで拒否した方が良かったのでは。レイアがポーを撃つところも、不親切な気がする。気絶させるだけの武器だと分かるまで、レイアまでそんな悪いことするの?という変な引っかかりがあった。あと、ユーモアが『アベンジャーズ』に影響されている感じもした。ポーがハックスを「ハグズ」と呼んで時間稼ぎするトークや、ハックスが倒れてるカイロを殺そうとするがカイロが動いたから銃を引っ込めるところは、『アベンジャーズ』っぽい。どちらも面白かったが。宇宙空間に放り出されたレイアの凍っていく表現は、もろに『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のスター・ロードだった。『アベンジャーズ』ノリは楽しいが、スター・ウォーズがその影響を受けているのが見えてしまうのは、ちょっと残念。わがままな要求だが、何か他の映画っぽく見えた時点で、どこかの銀河の実話ではなく盛り上げようとしてる「映画」だなと思って、少しだけ冷める。


エピソード9はどうなる?
今作は、ルークの「戦いは始まったばかりだ」というセリフで、「新たなスター・ウォーズを始めていい」という突破口をこじ開けた印象で終わった。そのフリが効いた分、また7のように元来のプロットに立ち返ると、がっかりしてしまう。9はまたJ.J.が監督することになったが、まとめつつ、元来のスター・ウォーズからはみ出していてほしい。

今作のラストでレイとポーが初対面。9ではいよいよ、レイ、フィン、ポーが3人仲間として行動する場面も見られそう。カイロ・レンが悪の親玉になったわけだが、彼が改心するのであれば、一体誰を倒して完結するのだろうか。そもそも、この三部作のテーマは、新キャラクターが自分たちの物語を成立させること。レイは自分の居場所を確信し、フィンは自分が正しいと思うことを完遂し、ポーは真の勝利のために動ける戦士になる。一方で、カイロ・レンの課題は悪役ぶりの到達で、これをサーガのハッピーエンドが求められる完結編でどう見せるのか。ドキドキして待とう。