公開当時に初日深夜の初回上映で鑑賞。20年以上のスター・ウォーズファンですが、最低最悪の作品でした。こんなに嫌いな映画は他にありませんし、私にとってはこの先も存在しないでしょう。本当は星1すらつけたくありません(このサイトは星0は未評価扱いなので)
とにかく「最後のジェダイ」が終わった後の「この先のスター・ウォーズはついに新しい物語が展開できる!どんな完結編が待っているのだろう」という期待は完全に打ち砕かれました。
シークエルトリロジーはとくにデザインや世界観のスター・ウォーズ ナンバリングタイトルには到底相応しくない貧弱さに低調な印象でしたが、ドラマやキャラクターについては「フォースの覚醒」もとくに「最後のジェダイ」も、ファンや世の中の風潮よりはずっと好意的に受け止めていました。しかし最後が悪ければすべてが台無しです。それどころかスター・ウォーズ9部作を台無しにする最悪な作品でした。「最後のジェダイ」のドラマをきちんと受け継いだコリン・トレボロウ監督版であるエピソード9(仮タイトル「運命の決闘」)を破棄してまでこちらが製作された意味が全く理解できません。映画史に残る大失敗だったと思います。
序盤は延々と場当たり的で無駄なおつかいが続きます。どんどん次のアイテムを探す旅が続きますが、ぽっと出のマクガフィンが場当たり的に出てくるだけでまったく感情が乗りません。ウェイファウンダーにD-0にシスの短剣にオーチにシスの古代原語に・・・単に未整理なだけですべてまとめられなかったのでしょうか?しかもシスの短剣が荒波に揉まれる残骸の形を模している???封印された言語がなぜ大量生産品であるプロトコルドロイドにインプットされている???ジェダイハンターがうっかりレイの親について漏らした???
そして何より、延々と続くこの無駄なお使いの先にあるものが「主人公レイの正体」。映画館で鑑賞中に怒りの唸り声が出そうになったのはこれが初めてです。「レイの正体」それ前作で映画1本かけて解決しましたよね?どうもこの作品の制作者はよほど前作が嫌いで気に入らなったのか、9部作にもおよぶ映画史に残る超大作の完結編に、時系列一本道のシリーズ作品の前作を塗りつぶすためだけになんと映画本編の尺の約半分もの時間を費やしたのです。呆れてものも言えませんでした。
レイは「何者でも無い者」です。何者でも無いが故にどこかに行ける可能性を否定し続けていたレイと、産まれながらにして「何者かであってしまった」が故にその呪いに絡めとられてしまったベン・ソロ。という鮮やかな対比だけが、この完成度の低い続三部作で唯一光るドラマだったかと思うのですが・・・レイがパルパティーンの孫。なんてやればすべてが台無しになることを製作者は理解できなかったのでしょうか?それとも「最後のジェダイ」を否定して無かったことにするためならば、スター・ウォーズシリーズそのものの年代記的ドラマを台無しにしても良い。という料簡なのでしょうか?
何より「スカイウォーカーの夜明け」と言う作品、別に「レイがパルパティーンの孫」という言葉上の設定が存在しなくてもまったく問題なく成立します。前作を否定する為だけの機能しか果たしていないのです。
(余談ですが、「レイはパルパティーンの孫」ですらありません。「パルパティーンが自身の完全なるコピークローンであるストランドキャストを製作しようとしている最中に産まれたフォース感応力のない失敗作が脱走し無名の女と結ばれ産まれた子供」です。それ孫ですらないよね?)
それと私は「スカイウォーカーの夜明け」に登場するすべての瞬間のルーク・スカイウォーカーが嫌いです。投げ捨てたライトセイバーをキャッチして「ライトセイバーをそんな風に扱うんじゃない」だそうです。完全に前作への皮肉ですよね?
Xウィングをすでに死んだルークがフォースで持ち上げて物語上の何の意味があるんでしょうか?「42年に一度のアキアキ祭」と同じく、単にとてつもなく安っぽいファンを愚弄するファンサービスもどきで、こういった瞬間が一番醒めます。今作でXウィングをフォースで持ち上げる役目はどう考えてもレイでしょう?ルークはフォースで海を割ってその先を促す程度に留めて、新世代の希望であるレイがその修行の区切りと本当の試練の前の禊としてやりなさいよ。
これでもまだ私は最終決戦が熱く、派手で、燃える戦いであれば少しは許そう。楽しもうと思いました。スター・ウォーズは所詮娯楽作品です。アクションSFですから。
でも何でしょうか?市民船が大集結して・・・終了です。集結した絵一枚以上の見せ場は誰にも、どの宇宙船にも、なにひとつも、ありません。スター・ウォーズですよね?あの世界を、映画史を、SFを塗り替えたスター・ウォーズの完結編の宇宙戦闘の最終決戦がこのショボさ。
この大集結市民船団。反乱軍やレジスタンスの宇宙戦艦、宇宙戦闘機はもちろん、ローグワン時代のハンマーヘッドやUウィング、惑星ナブーのスターファイター、クローン兵が使用していた強襲艇、あの通称連合の戦艦・戦闘機、ドラマ「マンダロリアン」の主人公が乗る<レイザークレスト>、アニメ「反乱者たち」の主人公たちの母艦<ゴースト>や、アニメ「レジスタンス」のエース中隊、ディズニーランドでおなじみ「スターツアーズ」でゲストが搭乗するスタースピーダーなどなど、映画・外伝を問わず、歴代作品の宇宙船が続々と参戦しているのですが、このほぼすべてが自宅で40インチ以上の画面にこの映画を投影し虫眼鏡を使ってどうにか視認できる程度の豆粒サイズでしか映っていません。間違いなく居るのですが、なんでですかね?ファンをおちょくってるんでしょうか?
そして、アンテナを壊して終了はお粗末を越えて理解が追い付きませんでした。排気口の魚雷一発で爆発したデス・スターですら「ローグワン」という一大ドラマでフォローしたスター・ウォーズですからね。あのゴミクソアンテナ一発で何千万の戦艦が沈んだ背景にも、何か「ローグワン」のような壮大な涙のドラマがあるんでしょうね。きっと。
レイとベンとパルパティーンのライトセイバーを使った一大最終決戦については、もう何も書きたくありません。構えて、終わりです。あのスター・ウォーズの最終作の、ライトセイバーを使った、最終決戦が、アレです。今でも思い出すだけで怒りがこみ上げてきそうです。
そもそもファイナルオーダーって何だったんでしょうか?
銀河中のジストン級スターデストロイヤーが沈没する絵がありますが、ジストン級スターデストロイヤーが"包囲する"段階の絵がないので達成感も緊張感もあったものではありません。何が起こったの?
ファイナルオーダーについては「16時間」という言葉が出てきますが、それなら時限ものとしてドラマ全体を組み立てるべきでしょう。それなら少しはサスペンスとして成立したのではないでしょうか。実際は、壮大な銀河の舞台を、たった半日ちょっとでいくらでも周遊できるせせこましい庭にしただけで完全に裏目にしかなっていませんでした。
いろいろと作品の粗をあげつらいましたが、正直、それすらも些末な問題だと思います。最も残念なのは、人生を賭けて愛しているシリーズのよりによって完結編が、つまらない世論と一時の感情にだけ阿り、低俗で安直なファンサービスもどきと、ファンですらない大衆のなんとなくの偏見程度の表層的で非常に薄っぺらい「スター・ウォーズっぽいイメージ」の方だけを必死になぞるみっともない作品になってしまったことです。つまらないのは許せるが、日和と自己保身は許せません。
あぁ、あと、「ポリコレ」はまったく無関係ですね。シスエターナルを見てください。「封鎖的で断絶した異端の異教徒な民族を、いくらでも皆殺しにしてOKな"悪"として登場させ、兎に角、悪い奴だから絶滅させてめでたしめでたし」なんて、ポリティカルコネクトレス的にはあまりにも最悪ですからね。本当に2019年の大作映画とは思えない認識レベルです。
なぜこのような事態になってしまったのでしょうか。
シリーズ全体尚方針で完全に失敗したキャスリーン・ケネディがやり玉にあげられますが、”映画1作目のリアルタイム世代で思い入れも深いが、以降のシリーズや外伝類に一切コミットしていない”JJエイブラムスもこの企画には最悪の人選で間違いありません。ジャー・ジャー・ビンクスを悪しざまに言ったり、ヘイデン・クリステンセンのアナキンを出す、という最も鉄板のファンサービスすら許さない人物ですからね。
シークエルトリロジーは「リレー小説」であることが元凶と言われていますが、3部作の最初と終わりが同じ人物で真ん中だけ別の人物が作ることは「リレー小説」ですらありません。クリエイターのエゴが働いた「リレー小説」未満の代物です。それこそ「リレー小説」らしく3部作とも別の人物が監督脚本を行った方が、どれだけマシだったでしょうか。そうです、コリン・トレボロウ監督版をエピソード9として公開すればよかったのです。「もっとずっと素晴らしいアイディアが企画され、しかも本来ならばそちらが製作されるはずだった」という事実と内容までもが現実として暴露されてしまった以上、感情的には完全にポイント・オブ・ノーリターンを越えました。私は「スカイウォーカーの夜明け」と言う作品を一生許さないでしょう。
それにしても・・・
他人の感想への批判はご法度だとは思いますが、これをして「前作の失態をフォローするせいで今作は失敗した」などという言説が広く存在するそうですが、まったく私には理解できません。前作で解決したものを悪戯に塗りつぶしてシリーズ全てを台無しにした今作は、単に退屈でつまらないだけだった前作よりもよほど悪質な作品に思えました。
今作で唯一素晴らしかったのはサブタイトルだけです。「フォース」「ジェダイ」という鉄板の単語を先に使ってしまい、完結編に相応しいネタは残っていないのかと思いきや、「スカイウォーカーの夜明け」。感慨深く、意表を突くだけでなく本質的で、様々な想像を膨らませる素晴らしいタイトルです。"スカイウォーカー"というものが単なる個人の名前を越えて、銀河の人々の希望の象徴となった様を想像できます。
スター・ウォーズは長大な神話体系、あるいは歴史絵巻です。そのなかで「スカイウォーカーサーガ」はほんの一章にすぎません。長大な神話体系の書物において、章を冠するほどの名前は、王族か教祖だけだと思います。恐らく"スカイウォーカー"という名前は、教団か騎士団か何かの名前となり、銀河の人々の希望の象徴として未来永劫伝えられる言葉になったのだと思います。この個人的な想像だけが私の中のスター・ウォーズ エピソード9です。