ふじこ

奇跡のひと マリーとマルグリットのふじこのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

映画になって語られているくらいなんだからそんな事ないんだろうけども、
観ながら最初の方は(無理では…)と思ってしまうくらい、世界を何も知らなかったマリー。
そこに、身体が弱いながらも出会った魂をどうにか人として導きたいマルグリット。

目も見えず音も分からず、ただ一人の世界で生きていた彼女が悩みながらも献身的に指導するマルグリットのお陰でやっと物事にはやり方がある事、物には名前がある事、それを手を使って表せる事、それを理解してからは言葉の奔流で見違えるように普通のお嬢さんになっていく。
野生児のようであったけれどそれでも愛を注いでいた両親との再会も正直観ていてむっちゃ笑顔になってしまった。

後半はマルグリットに迫るお迎えと、受け入れる覚悟をしたマリーの強さが胸を打つ。

この施設に来た時点で幾つだったのか分からないけれど、知能に問題がなければ何時か言葉を得られるはずと信じる気持ちは何処からきたんだろう。
後天的であれ知能に遅れを伴わなかったのはそれこそ奇跡なんじゃないかなあ。
つい最近も、乳幼児期の聴力検査で見逃されてしまったが為に知的障害者として特殊学級に居たけれど、脳ではなくて耳が聞こえないのでは、と気付いた先生が再検査を促して発見されたけれども学習機能に大きな遅れが、というニュースを見た。

この映画のラストで空に向かってマルグリットに語り掛けるマリーの様は他人を想う優しい心で溢れていて、まさに人は一人では生きられず、他者の存在こそが世界を作るものであり、そしてそう言った出会い自体を奇跡と呼んで良いんじゃないないかなと思った。

そして同時に、ヘレン・ケラーはお金持ちの家の子であったが故にサリバン先生という家庭教師を雇う事が出来たし、もちろん本人の努力もあったのだろうけれど、家が貧しくて誰にも受け入れられなかった人や、同じ努力をしても結果を得られなかった、映画にもならないような人たちはどこへ行くのかなぁ…とも思った。
ふじこ

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