kuu

暗くなるまで待ってのkuuのレビュー・感想・評価

暗くなるまで待って(1967年製作の映画)
4.0
『暗くなるまで待って』
原題Wait Until Dark.
製作年1967年。上映時間108分。

オードリー・ヘプバーンが目の不自由な女性を熱演してるサスペンススリラー。
余談からですが、第二次世界大戦中、16歳のオードリー・ヘップバーンは、和蘭陀(オランダ)の病院でボランティアの看護師をしていたそうですが、アーネムの戦いで、ヘップバーンの病院には多くの連合軍の負傷兵が収容されてた。
若きオードリーが看護した負傷兵の中には、英国の若き落下傘兵であり、後に映画監督となるテレンス・ヤングがいた。
彼は20年以上後に、今作品『暗くなるまで待って』を製作したとなんて聞いたら、人の縁てのは分からんなぁと思える。
合縁奇縁。

扨、お話は、
目の不自由な女性スージーの夫サムは、カナダからニューヨークへ帰る途中に知り合った女から人形を預かり自宅に持ち帰る。
実はその人形にはヘロインが隠されていた。
人形の行方を探す犯罪グループの男たちはサムの自宅を突き止め、留守中に忍び込むが人形は見つからない。
スージーの目が見えないことに気づいた男たちは、ひと芝居打って彼女から人形の在り処を聞き出そうとする。。。

オードリーヘップバーン写真展が、今暮らしてる県立美術館でやってるし、コマーシャルでオードリーをよく見かける。
そんな折に、衛星放送で今作品がやってたし何気なく付けた。
オモロイやん。
オードリー可愛いやん。
今作品は、フレデリック・ノットによる同名戯曲を映画化した作品で、同戯曲の舞台初演は1966年やけど、その初演の前からヘプバーン主演での映画化が決まっていただけあって、観たあとは、ヘップバーンにピッタリな作品やとさえ思ました。
人形を預かる盲目のヒロイン。
夫が不在の折の何気ない日常のヒロイン。
人形に隠された麻薬を追う者がヒロインに悪党を差し向けるちゅうコンセプトってシンプルやけどが巧いなぁ。
オードリー・ヘプバーンのスージー役は完璧に配役、配置されてるかな。
彼女は非常に弱々しく繊細で、自分の頭の中の牢獄に閉じ込められた女性の考えを完璧に表現してる。
彼女は観てる側(私的で🙇‍♂️)に美しさだけではなく、動きでも引き込み、どないしても銀幕の中やし助けることもてきひんのに彼女を守るように掻き立てられる。
悪魔のようなアラン・アーキンが、リチャード・クレナとジャック・ウェストンを率いて、詐欺を働く極悪非道な野郎を演じているんも巧いなぁ。 
これは解決策のないジレンマやし、この悪夢のようなゲームに新たな展開をもたらすモンちゃうかな。
監督の観てる側を残酷な視覚的トリックを駆使してムギュっと苦しめさせよる。
彼はカメラをアクションに密着させ、空間が狭まっていくように感じさせて作品を作ったそうです。
物語はアパートからほとんど離れることなく、固い緊張感を保つし、スージーが一人でいるかどうかを確かめるために部屋を探す場面じゃ、見事な繊細さがあり、拷問のような場面がほとんど無音で演じられてた。
不安感を煽るために、作曲家のヘンリー・マンシーニは、パール・カウフマンとジミー・ロウルズちゅう2人のピアニストに、1/4音ずつ違う楽器を演奏させてるそうです。
最初は、この斬新な手法が目的を達成できるかどうか不安だったそうですが、間違いなく小生は不安感を煽られたかな。
オードリー作品の中じゃ、知名度はどの辺りかは分からないけど、イメージするオードリー作品としてはチョイ雰囲気が違うかなぁと。
せや、純粋に面白い作品やったし、個人的にはオードリー作品では上位やと思います。
多くのオードリー作品はオードリー頼りの脚本演出やけど、今作品は脚本も演出も巧いなぁと、そこにオードリーが演じることで相乗効果が生まれ良い作品が生まれたんちゃうかと。
kuu

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