yoshi

ラスト・フェイスのyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

ラスト・フェイス(2016年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

映画を見終わった後、原題の「最後の顔」に含まれた意味に想いを馳せる。人間誰しも幸せを願った時に思い描くのは、愛する人の顔ではないだろうか?その意味ではこの映画には芯が通っている。第69回カンヌ国際映画祭でプレミア上映され、上映後ブーイングが飛ぶほど酷評されたショーン・ペン監督作品。私は断固擁護する!

擁護する理由は、私がショーン・ペンの熱烈なファンだからという訳ではない。
酷評される理由に納得かいかないのだ。

「アフリカの人々を救いたいという高尚な製作意図が込められているが、その反面、白人同士のラブストーリーは、その思いを台無しにしている。」というのが平均的な批評家の評価らしい。

アフリカを救いたいのか、悲恋物語を描きたいのか、どっちなんだ?と言いたい訳だ。
確かに恋愛の甘さと紛争の残酷さの落差が激しい。
しかし、ペン監督が描きたいのは恋愛ではないのだ!
我々先進国と紛争国の生活の落差そのものなのだ。
この作品を嫌悪した批評家たちは、自分たち先進国の人間が、アフリカの現実に何も出来ず、のうのうと暮らしていることを暴露されたことに、怒りを覚えたに過ぎない。

あらすじを簡単に書こう。

西アフリカの内戦地帯。
世界中の貧困国に医療援助の資金を提供する組織MDMに属するレン・ピーターソンは、救援医師のミゲル・レオンと出会う。

自らの危険を顧みず、軍事的な暴動の被害者となった患者を助けようとするミゲルの姿に感銘を受けたレンは、彼に惹かれ、2人は過酷な状況下で互いを支え合っていた。
しかし、ミゲルのある過去と、容赦ない現実が、2人の関係を切り裂いていく…。

描かれる紛争現実の描写は生々しく、作品を見てほしい。

出演は恋愛関係となる2人。
ミゲルとレンだ。
ミゲル(ハビエル・バルデム)
養護施設で育ち、逆境を乗り越えて、有名大学の医学部を卒業する。救援医師として紛争地域で医療活動を行う。

レン(シャーリーズ・セロン)
父は「世界の医療団(MDM)」の共同設立者。父の意思を引き継ぎMDMの活動を行うが、なかなか上手くいかずもどかしい思いを抱える。

このキャラクター設定からも分かるように、ミゲルは人生経験が豊富な行動派のワイルドな男。
(都会のホテルのエアコンと水道を見て「何と恵まれたことか」と高笑いする。)

対するレンは偉大な父を持つ、お金持ちのお嬢様である。
育ちも立場の違う2人が、過酷な環境の中で惹かれ合う。
いわゆる「吊り橋効果」での恋愛なのだが、良く良く見るとレンの主観映像が多く、最後に登場するのもレンのため、本当の主人公はレンといって良い。

MDMの資金を調達する役目のレンが、自分を見失い、自分の関わるアフリカの現実を見ようと現地を訪れる。

自身が述べるように彼女は「観光客」だ。
シャーリーズ・セロンの美しいルックスが育ちの良さ、イコール洗練された白人文化と身なりを気にすることが出来る平和な社会を代表しているのだ。

私達観客は彼女の目を通して、アフリカの過酷な現実を知る。
彼女が汚れ、挫折していくほど、過酷さが伝わるのだ。

映画は時折、時間軸が交差する。
2人が出会い、そして2人が別れてから10年の月日が経過していたことを示唆する。
つまりレンがアフリカを離れて10年が経過していたのだ。

レンはミゲルから手紙を受け取るが、読まずに別れの言葉と共に突き返した。
(この手紙がラストに涙を呼ぶ)

レンは10年経っても変わらないミゲルの愛を信じることはできず、苦悩しながらも縋る彼を無視して車に乗り込む。
心が疲弊した彼女は実家へと身を寄せる。
そこに、ミゲルが訪ねてくる。

そしてアッサリとレンはミゲルと再び関係を持ってしまう。

別れた原因が映画の終盤にならないとわからないのだが、要するにレンは、アフリカの過酷な現実を目の当たりににして、逃げ出したのである。

胸を刺されて亡くなった反政府軍が人間を盾にした少年達の山積みの遺体。
輸血の血液が足りず、1人しか生き残れない家族。
惨殺された死体の腸で引かれた立ち入り禁止のロープ。
少年兵の襲撃者に、尊敬する父親を撃つよう命じられたが、撃つことができず、自分の頭を撃ち抜いた少年サム。

レンの心は傷つき、人を治療できる状態ではなくなる。レンは周囲の反対を他所に撤退することを決めた。
レン達が立ち去る中、救うべき患者がいるミゲルはその場に留まったのである。

レンは過酷な状況に耐えられなくなり、戻って現状を世界に伝えるべきだと訴えた。

それも正論だが、逃げ口上だ。
ミゲルも他の医師も目の前にいる彼らを救うため、戻る気はなかったのである。

勘違いしたレビューや解説も見たが、決してレンの従姉妹がミゲルの元カノだったせいではない。

逃げたレンに対して、ミゲルは人生経験値の高い人間。
レンの従姉妹アデルがAIDSに感染した腹いせに余計な暴露をする。
「酒やクスリに走る人も多いけど、この人の場合は女よ」と。

ミゲルにも現実と立ち向かう心の拠り所が必要であり、男ならば女性にすがるのが当然でもある。
ミゲルもまた人間であることを伝える為に挿入した話なのだ。

ミゲルはレンがアフリカに戻ってくるのを待っていた。
レンもミゲルに会いたかったが、トラウマである内戦の渦中に戻ることはできなかったのだ。

だからこそミゲルに再会したレンは自分の情け無さに向き合い、取り乱したのだ。

ミゲルも現地に行くのを止め、レンの傍で平穏な暮らしを行うことはできなかった。

ラストシーンでレンはMDMの資金調達イベントを行い、ミゲルは現地へと旅立った。

イベントでのスピーチを終えた後、レンはミゲルからの手紙を読んだ。
そこにはレンを愛していることが綴られていた。

しかし残酷なことに、ミゲルの乗った飛行機が撃ち落され、乗組員は全員死亡したと報じられる。
レンはミゲルの件が報道されるのを呆然と見ていたところで映画は終わる…。

自分が視聴した限りでは、なぜカンヌで酷評されたのかが、分からない。

この作品に恋愛を絡める意味はあったのか?と聞かれれば、私は答える。
「救われる側にも、救う側にも愛は必要不可欠だろう?」と。

「(映画に対して)開かれた心を持っていなければ、ただ消えればいい。私はそのような人に関心はない」とカンヌでペン監督は語った。

人気俳優が出演していながら、カンヌの酷評からか、日本の劇場で公開されず、DVDスルー。
多忙であったせいか、私の住む田舎ではDVDレンタルすら見かけなかった。
Amazonプライムで偶然にも見つけ、やっと見ることが出来た。
ショッキングな描写に目を奪われた為、監督の真意を掴む為に、続けて2回見た。

アフリカの現実を知ることが出来る本作には、明らかに価値がある。

酷評を受けたカンヌで、ペン監督は「観客が映画のシーンに抵抗を感じるなら、それは彼らがこれまで現実に無関心だったということだ。私はただ、私がこれまで見たもの、私の経験を共有しようとした」と話した。

彼は2010年のハイチ大地震直後から現地で救護活動を展開している。

これまで個人的な内なる衝動と葛藤する、繊細が故に傷ついた人々を描き、自己内省的な映画を監督作品として創造してきたショーン・ペン。

2000年代の彼が出演する映画は、政治力が大変強いものが多かった。
「ミルク」「フェアゲーム」「オールザキングスメン」「インタープリター」「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」…。

彼が自分の魂を探る長い旅を終え、自分が世の中に対して何か出来ないか、何か残せないか、と考え始めていたのが、俳優としての作品選びからも良く分かる。
(私も彼と同世代なので、その気持ちは良く分かる。)

この映画の登場人物たちは、アフリカの現実に傷つきながらも、これまでのペンの監督作品の主人公と違い、自分との葛藤はしない。

目の前の傷ついた人々を助けようと、ただひたすらに行動する。
滅私の医師たちである。
思うよりも行動する人たち。

「映画で世の中を救おうとするのではない。今の現実は美しさで世の中を救おうといった童話で解決するには苛酷だ。
私たちにはさらに強力な道具が必要だ。
今でも救護現場には多くの英雄がいる。
彼らはもう少しよい待遇を受けなければならない。」とも、ペン監督はカンヌで語った。

確かに、この映画は「ホテル・ルワンダ」のような誰かが救われる美談ではない。
「ブラック・パンサー」のような黒人国家を救うヒーローなどいない。

アフリカも主人公たちも救われてはいない。
アフリカの民だけでなく、救おうとする側も犠牲になる過酷な現実。
しかし、誰かが何かをしなければ、何も変わらないのだ。
血塗れのベッドで、患者を前に淡々と治療する医師たちの行動力にはそれを感じずにはいられない。
(脇役としては勿体ないジャン・レノ演じるラブ医師が傷ついたレンに向かって「決断しろ!何かしろ!」と叫ぶ!。自分に言われているかのようでドキッとした!)

また、この映画は役者のアップが多用され、しかもその顔以外の部分は、ワザとボカすように映している。

愛する人の顔を目に焼き付けて、人生の一瞬一瞬をを大切に生きて欲しいというのが監督のメッセージだと受け取る。

惨状を知り、学んだ者が、映画で後世に伝えようとする努力!
この価値において、この映画は「シンドラーのリスト」と同価値である。

更に言えば、これは今なお存在する現実であり、ショーン・ペンはアフリカの救済活動を行なっている功労者でもある。

目を背けてはいけない現実がここにある。
全人類が見るべき映画である!

この映画を酷評する人は、いかに自分が安全な場所で人生を謳歌しているかを気がついていない。
自分を客観的に見ることが出来ていないのだ。アフリカから逃げ出したレンと同じで、目を背けているのだ。

ラストで涙ながらに資金援助を訴えるレンはペン監督の代弁者である。

(当時、監督とセロンは付き合っていたので、尚更監督の心を理解していたのかもしれない。セロン自身、南アフリカ共和国の出身であり、貢献したかったであろう熱演だった。)

美しすぎるシャーリーズ・セロンが洗練された白人文化をルックスで代表するが、心の中は変わったのだ、貴方達にも変わって欲しいと監督は逆説的に訴える。

説教くさいというなかれ!
何か行動することが大切なのだ。
私も僅かながら(コンビニで目に付いた募金は欠かさないが)何かに関わりたい気持ちになった。

再評価を切に求めたい!
そして自己の内面を見つめることに区切りをつけ、世間への発信を始めたショーン・ペン監督の次回作に大いに期待したい。

この作品の価値とペン監督への応援を含めて満点を献上する💯。
もっと多くの人が、この映画を見てくれることを願うばかりだ。
yoshi

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