塚本

怪物はささやくの塚本のレビュー・感想・評価

怪物はささやく(2016年製作の映画)
3.0
英語圏の国じゃ“esoteric”…(分かる人には分かる)という言葉が、あるらしいです。
けど、この言葉は使い過ぎると鼻持ちならないスノッブな奴…なんて揶揄される、、所謂日常会話ではあまり使わん方が賢明なフレーズやそうで、ま・それは洋の東西を問わず、ですよね。

さて本作なんですが、これは非常に不親切な構造を持つ…逆に言えばそこが分かると涙腺決壊、必至の…つまりesotericな朱玉の作品としてこちらの心に刻印されるように出来ています。

物語の主人公である13才の少年は、癌を患ったシングルマザーを持ち、ソリの合わない祖母との暮らし、学校内では理不尽なイジメに遭う、という抑圧された日々を過ごしいました。

ある夜、イチイの木のモンスターが彼のもとに現れ、“物語を3つお前に聞かせる"から"4つ目はお前の真実の物語を話せ"…と、なにやら意味不明な事を言いだします…

モンスターは、彼が今置かれている苦境から一歩前に進むために現れた、彼の潜在意識がこしらえたイマジナリー・フレンドだということは、まぁ、よくある話として、なんとなく理解出来ます。

しかしこの作品、ラスト10分くらいから、“よくある話”のフォーマットの位相を劇的に変えていきます。

少年の内なるメンター、或いはカウンセラーである怪物は別の顔を現すんです。

….母が亡くなり少年は祖母の家で暮らすことになります。
祖母は娘(少年の母)が使っていた部屋を与えます。
部屋は母が高校生だった頃からずっと手づかずに置かれています。
臆測ですが、娘は若くして前の夫と駆け落ちのように家を出て行ったんではないでしょうか、祖母の反対を押し切って…。
だからこそ、部屋は彼女が出て行った時のまんま保たれているんだと思います。

カメラは部屋の壁に掛かった沢山の写真をパンしていきます。
その写真のひとつに幼少の頃の母が(おそらく若くして亡くなったであろう)彼女の父親(少年の祖父)に抱きかかえられているものがあります。
サラッとしか映りませんがよく見ると彼、リーアム・ニーソンなんですね。
…そして怪物を演じていたのが、リーアム・ニーソン…なんです。

さらに見返してみると、母は今際の際で少年の背後に居る怪物に視線を向けているんですね。
彼女には怪物が見えていたんです。

怪物は少年の中だけに存在するイマジナリー・フレンドであると共に実際に少年を癒しにやってきたおじいちゃんでもあったわけです。

…本作の原案は、カーネギー賞作家シヴォーン・ダウトがパトリック・ネス。癌を患い、我が子に残すべく“メッセージ”として構想したもので結局、未完のまま47歳でこの世を去りました。
それを、2011年にカーネギー賞を受賞した作家パトリック・ネスが引き継いで完成させたのが「怪物はささやく」だったんです。

…そして…怪物を演じたリーアム・ニーソンは2009年、奥様であるナターシャ・リチャードソンをスキー事故で亡くしているんです。
2009年当時、14才と13才の子供を残して。。。
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