アニマル泉

軽蔑のアニマル泉のレビュー・感想・評価

軽蔑(1963年製作の映画)
5.0
ゴダールの長編第6作目。原作アルベルト・モラヴィア。愛についての映画だ。女が車に乗った時から愛が崩壊する。ゴダールがロッセリーニの「イタリア旅行」を見て「男と女と自動車があれば映画が出来る」と宣言したマニュフェスト通りだ。
フリック・ラングの存在感が凄い。特にアップ、隻眼、残る片目も何処を見ているのか定かではない、顔のアップが圧巻だ。ブリジット・バルドーは全身だ。冒頭のベッドシーンの長回しはライトチェンジしながらBBの全身を舐めるように捉える。この冒頭場面はプロデューサーから追撮を命じられたらしい。プロデューサーはカルロ・ポンティだ。BBはブロンドとブルネットの変身が面白い。ゴダールはヒッチコックの「めまい」を明らかに意識していると思う。
オープニングタイトルはゴダールの声でキャスト、スタッフがクレジットされる。黒沢清が処女作「神田川淫乱戦争」のラストタイトルで真似ている。
チネチッタ撮影所の場面も長回しだ。ワンシーンワンショット。その中でのリズムと色の配置が素晴らしい。例えば「ハタリ!」の黄色いポスターが貼られた黄色いスタジオの前で登場人物が出会う、赤い車のジャック・パランスが来て、BBが登場する、そのリズム、赤い車のイン・アウトが絶妙で素晴らしい。なんとも充実した長回しだ。ここでミッシェル・ピコリがBBをジャック・パランスの赤い車に乗せてしまう。
続いてジャック・パランスの自宅の場面。そしてアパートの長い場面になる。全体の3分の1を占める。手前の部屋、真ん中の廊下、奥の部屋といった多層構図が面白い。ゴダールが好きなベラスケスの絵画のようだ。そこをBBとピコリが縦横無尽に動き回る。アパートは白い基調で、赤や黄色のバスローブをまとって、脱いで、着替えて、髪もブロンドとブルネットに変身して、その色の配置や移動が鮮やかで美しい。赤い花や家具も計算され尽くしている。BBがラングの本を読んで入浴している場面、ピコリが来て、手前のトリコロールのストライプ柄のタオルを取り、青いネクタイを締めながら会話する長回しのショットもそれぞれの身振りが見事なアクションの呼応になっている。撮り方はどうであれ、ゴダールは活劇のリズムが天才的だ。ラング、フォード、ホークスの呼吸をしっかりと継承している。
ゴダールは「海」だ。本作は「気狂いピエロ」の予告編になっている。後半のカプリ島の場面は青い海、水平線、崖、階段、そして死の予感。ラングが映画を撮り続けるのが本作の希望だ。現場の助監督をゴダール自身が演じている。
ラングが撮っている「オデュッセイア」はピコリとBBの愛の破局とパラレルに進んでいく。この劇中映画の彫像や歴史劇の映像が、何故か、まるでストローブ=ユイレが撮ったようで面白い。
本作はフランス語、英語、ドイツ語が混ざりあう「言語」が主題の映画でもある。
ジョルジュ・ドルリューの音楽は後期ゴダールのような断絶やコラージュはないものの、同じメロディーがひたすら反復される。
ゴダールの「赤」。BBとパランスがローマに帰る、赤い車、パランスも赤いセーター、BBがたたずむ手すりが赤く、遠景に座る人まで赤い、そして2人の血の赤。
カラー フランスコープ。
アニマル泉

アニマル泉