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ダライ・ラマ14世のnijinochichiのネタバレレビュー・内容・結末

ダライ・ラマ14世(2015年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

2015-06-17(長男の22歳の誕生日)に、駅西シネマスコーレでITKさんとともに観る。

1995年公開の「地球交響曲第2番」でダライ・ラマ14世の日常や言葉に触れて、それ以来のファン。迷うことなく観に来た。

彼はいつも慈悲の心compassionと言っている。この映画でも何度も出てきた。慈しみの心。一緒に見たひとの名前に「慈」の字が含まれていることも、何かのご縁なんだろう。

ダラムサラでの取材もしていたが、(インドの中ではあるが)チベットの人たちの中にあるダライ・ラマ14世の存在の大きさを実感した。

一番感じたのは、やはり教育だということ。ダラムサラの学校では、いろんな教科、コンピューターも言葉(英語、チベット語、そして今後の交渉のためにと、中国語も)教えている。そして、何のために勉強するのかとの問いに、小さな(小学校低学年くらいの)生徒も含めて、「社会に貢献するため」も答える子が多かったのは驚き。

さらに、その子供達に欲しいものを聞いた答えは、ほぼ「ありません」。携帯は持ってるし、寮母さんもいるし、年上年下の生徒たちもいるし。一人「足るを知る」と言っている子までいた。なんだこれ。

ダライ・ラマ14世はいろんなところで話しをされている。移動途中出会ったひとにも、話しをされる。そして、それがチベットのひとであれば、必ず「チベットの現状を知っておく」と言っていたのも印象に残った。

仏教徒は、仏教を学んでくださいと言っていた。今を生きる智慧が詰まっていると。

般若心経をわかりやすく説いた本を読みたくなった。

1995年公開の「地球交響曲第2番」を見た時以来のファン。その映画の中で印象に残った言葉。
「私は何も特別なことをしているわけではありません。できることをしているだけです。」

私は、やれることを、やりきっているだろうか?

この映画のかなでも。「私はただの人間です。皆さんと同じです。」と言っていた。I am just a human being.
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