一方、反乱軍の DJ はラジオで反乱軍に植民地主義の象徴への攻撃を促し、兵士を勇気づける。ここで流れるレゲエのリズムがとにかくカッコ良い。クレール・ドニの映画はとにかくサウンドの決まり方がべらぼうにセンスが良いのだ。マリアの従業員たちはコーヒーの収穫よりも、今後の紛争を恐れて敵前逃亡してしまったのだが、彼女のこの地に留まるという意志は固い。5日後の収穫の日を逃したくないと彼女はゼロからの雇用に励むのだが、札束で頬っぺたを叩けばどんな危険でも厭わないという地元民は後を絶たない。ある種、今のスターバックスや他のコーヒー・チェーンの隆盛を見れば、21世紀にも国際的な搾取的な雇用構造は深刻で、我々が普段飲んでいるコーヒー豆の背景にはこのような残酷な物語が横たわるのだ。肌の色の違いから永遠に部外者と呼ばれ続けなければならない苦しみこそがクレール・ドニの重要な主題で、それでも彼女は戦場の狂気へと駆り立てられるのだが、彼女の病巣を1人抱えきれぬまま受け入れた息子のマヌエルの『フルメタル・ジャケット』ばりの終盤の半狂乱が凄まじい。渦中に置かれるのはマリアともう1人、ボクサーだった名無し(イザック・ド・バンコレ)なのだが、彼こそはドニの処女作『ショコラ』で使用人の黒人青年プロテを演じた男なのだ(師匠ジャームッシュの『リミッツ・オブ・コントロール』の主人公!!)。内戦がもたらした悲劇が強者と弱者、雇用主と労働者、支配者と奴隷の関係性すらも破壊して行くクライマックスの狂気は今観ても凄まじい。紛れもない戦争映画である。