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空気の無くなる日の町蔵のレビュー・感想・評価

空気の無くなる日(1949年製作の映画)
3.7
949年2月28日発行の映画雑誌『映画季刊』(後に『映画新潮』に改題、制作社刊)に日本映画社の監督・伊東寿恵男名義のシナリオ『空気のなくなる日』が掲載された[12]。

1949年5月に河出書房から出版された児童文学者協会編『小学六年生 文学読本』には、本作だけでなく、偶然にも日本映画社で教育映画・記録映画の脚本や監督をしながら児童文学作品も書いていた岩佐氏寿の作品も収録されていた。

いずれにせよ『子供の廣場』掲載から2年を経過することなく、日本映画社関係者の目に触れる機会を得て、本作は同社によって映画化されることになった。映画のタイトルは、『空気の無くなる日』となった[13]。

この映画では特撮の比重が大きく、東宝のスタッフのほか、鷺巣富雄がイントロ部分の特撮を担当[14]。また、渡辺善夫が「合成作画」(マットペイント)を手掛けたが、渡辺は「作画合成」(部分的な合成)だけでなく、画面すべてを画で表現する「全画」という技法を、日本で初めて使用し、成功を収めている[15][注釈 1]。 限定された公開方法であったにもかかわらず、思い出として語る人は少なくなく、評論家の筈見有弘は、そうした口コミに押され、フィルム試写まで行ったうえで1977年刊のムック「映画宝庫6・SF少年の夢」(芳賀書店)に長文のリポートを執筆している。

映画は、文部省選定作品[3]となる。映画は、1950年に発足した映画配給会社「共同映画」の配給網にのり、学校や公民館での移動巡回映画会などで上映され、劇場での公開は、日本映画社教育映画部が解体され、日本映画新社へと再編された後の1954年となった。



スタッフ
製作:石本統吉
監督:伊東寿恵男
助監督:吉田庄太郎、菅家陳彦
撮影:大小島嘉一
録音:酒井栄三
照明:日野正男
音楽:武田俊一
美術:田辺達
特撮:東宝合成課(合成 向山宏)、鷺巣富雄(イントロ部分[16])、渡辺善夫(合成作画)
キャスト
花沢徳衛
田中筆子
原緋紗子
日方一夫
児童劇団「銀河座」ほか[13]
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