ホロコーストを題材とした映画は「シンドラーのリスト」や「ライフイズビューティフル」以来。
アドルフ・アイヒマン裁判を通じて、アイヒマンの様子や実像に迫り、ナチスの残党に脅されながらもテレビで中継、世界中に配信したプロデューサーのそこに至るまでの過程や努力が描かれる。
実際の記録フイルムと映画として描かれた部分が交錯して効果的に引き込まれる。
アイヒマン裁判が開催されたのは1961年ということは今年で60年という節目。
また、つい最近、「ファーストマン」を鑑賞していたが、人類の月面着陸と同じ年というのはこの映画を通じて知る。
欧米では裁判がテレビ中継されることがある。この裁判の前までは当時の東西ドイツでもホロコーストに関しては話をしてはいけないような雰囲気だつたというので、大きな歴史的な仕事だつたのは間違いない。
アイヒマンの生い立ちを見たかった気もするが、敢えて割愛したのだろう。
子煩悩で平凡な男が狂気により大虐殺に手を染める、それは誰にでも起こりうること。
「自分は他者よりも優秀に創られたと一度でも考えた者はアイヒマンと同じ地平にいます。
そして一度でも鼻の形や肌の色や信仰する神の違いによつて他者に悪意を抱いた者は理性の喪失が狂気への道と知るべきです。
このようなことから全てが始まったのです。」
.....最後のセリフ、思わずメモしました。