テテレスタイ

クリミナル 2人の記憶を持つ男のテテレスタイのネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

偽情報って怖いよねって思える映画。

ストーリー自体はかなり単純で、CIAとテロリストが情報をめぐって争う攻防戦。そこに主人公ジェリコの脳内の攻防戦をオーバーラップさせて、情報とは何かを描いている。

物語はハッピーエンドで終わるんだけど、でも、主人公のこれまでの犯罪をなかったことにしていいの?っていう疑問は残る。しかし、その疑問に対する答えをこの映画は用意していて、完全に納得するまでにはいかないかもしれないけれど、その思想は興味深い。

この映画のストーリーには思想が埋め込まれていて、一番わかりやすいのは登場人物たちの名前。名前をググると、何を伝えようとしているのかはだいたい判明する。



ジェリコ(主人公):ジェリコはエリコの英語読みで、旧約聖書のエリコの戦いを連想させる。エリコの戦いでは角笛を吹くことで神が頑強な壁を崩した。

ハイムダール(テロリスト) :ヘイムダルは北欧神話の神で、角笛ギャラルホルンの持主。ギャラルホルンを吹くことはラグナロクの訪れを意味する。

ダッチマン(ハッカー):近代イギリスの伝承に現れる幽霊船の船長の名前。喜望峰の近海で、風を罵って呪われた。たった一人で最後の審判までさまよい続ける呪い。しかし彼を求める女性に出会えれば、呪いから解放される(死ぬことができる)。

ホープ(殺された情報局員):喜望峰



上記の設定から読み取れるのは、角笛は神への情報伝達手段だということ。情報とは本来、神への祈りであり、神聖さを持っている。だから情報をないがしろにする者はダッチマンのように呪われる。元来、情報は音声でやり取りされていた。風は音を運ぶ。風を罵ったダッチマンは情報を愚弄したことになり、それゆえ呪われた。テロリストもCIAのシステムをハッキングして情報を改ざんして捜査妨害をしていた。だからテロリストは最後は改ざんされたプログラムによって報復された。



登場人物たちの名前以外でも、メタファーとして印象に残ったのは、ジョージ・オーウェル。1984年の作者。ジョージ・オーウェルの本の裏に大金が入ったバッグが隠されていた。

1984年では管理社会の中核となる悪の概念として二重思考が登場する。でもこの映画では主人公の頭の中に二人の記憶が同居し、別の意味で二重思考が登場している。この映画の二重思考は1984年とは違って世界を幸せにしている。だからジョージ・オーウェルの本の裏にバッグは隠されていたのだろう。

でもたしかにこの映画の主人公は世界に平和をもたらしたけど、主人公はなかば強制的に人格を変えられてしまった。いわば脳内がホープに占領されてしまった形。でも主人公はそれを望んだ。たぶん、その構図が旧約聖書に出てくるエリコの町と一緒だということなのだろう。主人公はラハブであり、最終的にはその子孫であるイエス・キリストの強さを連想させる存在になっている。



でも、それでも主人公の罪を見過ごすことは難しい。映画の後半、親子を助けるために救急車に乗り、そしてパトカーの追跡を乱暴に妨害した。あんなに強引にしなくても、CIAと協力すればいいのにって思っちゃう。ところが、あの強引さには意味が込められている。

主人公が所持しているフラッシュメモリのプログラムには細工がしてあって、テロリストに渡すことで罠を発動できるのだが、CIAはそれを知らない。知らないなら教えて協力を請えばよい。でもそれができない。なぜならテロリストはCIAの内部システムにアクセスができるから。下手したらテロリストにフラッシュメモリの罠がばれてしまう。それだけは何としても避けなければいけない。

これはつまり、フラッシュメモリの中の情報には生死の概念があるということを示唆している。ばれたらその時点で情報は価値を失い死ぬ。主人公は救急車でフラッシュメモリを運んでいた。ばれたらすぐ死んでしまうような毒を盛られているフラッシュメモリを主人公は救急車で運んでいたのだ。主人公は映画の中盤で薬を飲んでいた。あの薬は実はただのビタミン剤でプラシーボ効果だったかも。情報は毒にも薬にもなる。

テロリストは映画の序盤では正義のために政府の不正を暴くと言っていたが、テロリストが本当にしたかったことは力の誇示で、俺が王様だと言いたいだけだったように思える。そのために彼は情報を武器として使った。

ダッチマンは自分の作ったプログラムが本当に動くか確かめたいという欲望もしくは知的好奇心に負けて、プログラムを稼働させてしまった。プログラムは情報であり、情報が彼の意志を殺した。

主人公は小さいころに前頭葉に障害を負ったが、ホープの記憶を移植することで修復された。記憶は情報であり、情報が彼を生かした。

救急車の件で情報に生死があると書いたが、ならば情報は命を持っていると言える。主人公はホープの記憶を移植された。つまりホープの命が主人公に移植されたことになる。そして主人公は旧約聖書のエリコの町のように神の導きによって聖なる地へと変化した。ゆえに神は彼の罪を許しているはずだ。

聖書ではなく北欧神話に話を変えると、主人公は北欧神話の巨人のような人物であった。そして情報局員ホープの記憶を移植されたことで、情報の巨人、つまりビッグデータになった。この映画はビッグデータが世界を幸福にする物語だ。情報とは神への祈りであり、ビッグデータは神聖さをもった神のような存在になりえる。この映画のストーリーに流れる思想は、そういうことだろうと思う。

ビッグデータをAIよりも人間に近い存在として描いているところが面白い。ビッグデータは人類を幸せにするための存在であって欲しいという希望を感じさせる。