あの娘のとなり

ラ・ラ・ランドのあの娘のとなりのネタバレレビュー・内容・結末

ラ・ラ・ランド(2016年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

何度観ても、やっぱり大好きだとうれしくなるような、そんな映画です。

物語なんかの大まかな部分は
何もこれといって真新しさや惹かれるものは
特にないのですが、1シーン、1シーンや細かな部分に、ものすごいときめきがつまっていました。

上映中のスクリーンのド真ん中に仁王立ち、
客席を見渡すミア。
こんなやつが現実にいたらポップコーンの膨らんでないあの固いやつをみんなで投げつけるべきなんですが、
文字通りに『映画』という光を背に浴びて、
上映が中止された『理由なき反抗』を引き継ぎ、舞台であったグリフィン天文台へ、そして宇宙まで舞い上がってはダンス、ダンス、ダンス。

ジャズ、ミュージカル映画、ないしはハリウッド黄金期にみるアメリカ映画の復興、そして未来へとつながる『夢』の続きを継承していくという若き監督の気合いと愛に満ち溢れていると思いました。

そして、物語同様とてもシンプルな魅せ方なんですが、ミアとセブふたりの男女のロマンスを天丼的に一貫して『音楽』ないしは『音』で繋いでいる点。
高速道路でのクラクションからはじまり、セブのピアノの音色、『Take On Me』『I Run』、デートの迎えに来た合図となるクラクション、そして3度目となるクラクション、そして5年後あの日に聴いたピアノの音色。

こんな部分に、たまらなくキュンとしてしまうのです。

そしてオープニングとラストシーン。

辟易してしまうような混雑をみせるLAの高速道路を映したオープニング。

あれはすべてミアもセブも名も無き脇役たちと同化し、含めた『La La Land』へと向かう不可能に近い夢を追う人たちの群れ。

そしてラストシーンでは、そんな高速道路をハリウッドスターという夢を叶えたミアはするりと進路変更をして降りていく。

そしてあの日に聴いたピアノの音色に導かれ、
またジャズ・バーという夢を叶えたセブと再会する。

これだけでもモダンな美しさがたまらないんですが、そこから平行世界として、ふたりが歩んでいても可笑しくなかったもう1つの物語が展開していく。

そこではハリウッドスターの夢もジャズ・バーの夢も叶わなかったかもしれない。
理想とは違ったかもしれない。
それでも溢れる現実の愛が、幸せが、
『夢』が確かにある。

僕がこのシーンの存在を
とてつもなく愛おしく思うのは、
夢を追って走っていた高速道路を半ばで降りてしまった多くの夢破れた人たち、
夢の国であり同時に、いやそれ以上に破れていった夢の墓場でもある『La La Land』に眠る魂たち。

そんな世界中の夢の敗者たちへの鎮魂歌であり、そしてその選択、過去・現在・未来ひっくるめて存在を肯定してくれる、そんな吐き気がするほどロマンティックな役割を果たす力があると思うからです。

そして、あのあらゆる感情や言葉が入り混じったセブの眼差し。

あぁ、あのライアン・ゴズリングこそ、
たまらなく『男』らしい『男』の姿なのだ!

そして『男の恋は名前をつけて保存。女の恋は上書き保存、だぜ』といつだったか言われ尽くされた定説めいたものを自身の経験則から導き出した唯一無二の自説の如く自慢気に教えてくれた童貞の友だちを思い出しました。