タイレンジャー

イット・フォローズのタイレンジャーのレビュー・感想・評価

イット・フォローズ(2014年製作の映画)
4.6
最大の謎は、ゆっくりと後を追ってくる「それ」が何を意味しているのか、に他ありません。

セックスを介して「感染」するので、性病やHIVの喩えだとも言われていたようですが、これは監督自身が否定、「ゆっくりと迫りくる、死そのもの」の喩えであったと発言があったようです。実際に様々な考察サイトに目を通しても、それと同じかまたは近い内容のものが多かったです。

僕もその解釈に納得ですが、死に至る前の「大人になってしまう」過程もまた「それ」に内包されているのでは、と考えます。

本作の地味な特徴としては、大人がほとんど出てこないという点があります。

主人公である19歳の女子大生ジェイをはじめ20歳前後の若者ばかりが登場し、ジェイの母親や大学講師、警察官などの大人たちは僅かに登場すれど、画面にはほとんど映らないので存在感が極端に希薄です。

「それ」に追われることになってしまったジェイを救おうと同年代の若者たちが立ち向かうという物語ですが、そこには驚くほど大人が介在していません。ジェイと母親の間には親子らしいやり取りは僅か。僕は2回目の鑑賞でようやく母親の存在に気づいたくらいです。

本作の中では大人はいてもいなくても良いほどの存在感であり、むしろ若者から大人に対する不信感が伺えます。冒頭の犠牲者である女の子こそ父親に対する愛を口にしていましたが、ジェイとその仲間たちが大人を頼ることはありません。

しばしば挿入されるデトロイトの廃墟だらけの荒廃した景観が映し出されるのには、大人がつくった社会に対して夢も希望もない若者の心象が読み取れます。あの廃墟の数々はジェイたちが大人に対して抱くイメージそのものなのかもしれません。

加えて印象的なのは、姿かたちを変えて現れる「それ」がグレッグ(チャラ男風)の母親やジェイの父親の姿になったりすることです。見た目だけで言えば、親が子を殺しにやってくるわけですから、ここもまた何か象徴的な意味があると考えるべきでしょう。

グレッグを襲う「母親の姿をしたそれ」はグレッグを性的に犯しますし、「父親の姿をしたそれ」を目にしたジェイは「何が見えるかは言いたくない」と意味深な発言をします。まるで父親の存在に触れることがタブーであるかのように。

これらから匂ってくるのは親から子に対する性的虐待の含みです。親に犯されるなんてのは子にとっては決して起きてほしくない悪夢ですが、その潜在意識の表れなのか、ジェイに至っては過去に父親との間にそれは起きたことが仄めかされるような一幕でした。

つまり、ジェイとその仲間たちは大人というものを信じておらず、自分たちがじきにそちら側になってしまうことに不安を抱いているように思えるのです。

なりたくない大人になってしまうことが若者にとっての死である、そんな捉え方もできるかと思いました。