ニューランド

キング・ジャック(原題)のニューランドのレビュー・感想・評価

キング・ジャック(原題)(2015年製作の映画)
3.4
前売り買って楽しみにしていたのに、台風で東京までたどり着けなかった、京都発「ルーキー映画祭」再映を1本だけ観れた。少年の所有する空気・空間に完全にフィット、寄り添いきったカメラ(+音楽効果)にまず、感心。年喰うとこの感覚はもう無理だろうなぁと思い知るくらいにいい。柔らかいが、ポジション・分割化・視界・フォロー・離れた相手Lを捉える(にも)望遠選択、そして1日の刻々変わる暗さ・光線や光芒の入り方の正確さ・美しさ、これも貴重な少年だけが持つ時間の表現になっている。このナチュラル・フリーにいじけ少年をナイーブに追ってくのかと思ったらそうでもなかった。
アメリカの地方都市では、子供たちの関係・優劣のあり方も、相手の人格を全否定、暴力(性)で直接地べた以下まで落としこむ、極端・ストレートなものである事に、日陰者同士間というだけで、陰湿・曲折もそんなにないまるで奴隷制の時代のような対人のあり方に、その極端ぶりにちょっと驚く。一方で下層とはいえ白人少年が何の迷い・屈折感もなく、憧れ・(未来の)性の対象として、有色人種の少女を選択してる事にも、今時古いのかも知れないが、ちょっとビックリ。
そして、ここには年下の少年へ向かう、とことん止むことのない直接暴力の連鎖が、陰惨というより・伸びやかに描かれてゆくのだが、しかしそれは今時の肉体破損・破壊の外形的なものというより、ひと昔前の、五分の魂でもないが虫ケラ的、自分も周囲も納得してる生の持ち主の少年の、自らのイニシエーション・真の連帯の相手を見出だす為の、通過の集約的表現にも見える。私がこれを観ててしばらくして思い浮かべたのは、梶原一騎=荘司としおの『夕やけ番長』なるケンカに明け暮れるも、それは微妙も失うと人間を失うレベルの、自己と周囲の尊厳を守るに命を賭けてる少年が主人公の漫画の匂いだった。
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