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戦場ぬ止みのKUBOのレビュー・感想・評価

戦場ぬ止み(2015年製作の映画)
4.0
「戦場ぬ止み」

先日、宮古島の友人から「ぜひ見ていただきたい映画があるのですが」とメールをいただいた。作品は「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」。前作「標的の村」がキネマ旬報ベストテン文化映画部門第1位を始め各賞に輝いた三上智恵監督の新作だ。「標的の村」はオスプレイ導入に対する高江での反対運動やかつての「ベトナム村」にまつわる事実など、内地では報道されない沖縄の真実を伝える迫真のドキュメンタリーであった。ちょうどキネマ旬報ベストテン表彰式に出席していた私は、登壇された三上監督のお姿を拝見して、こんな硬派なドキュメンタリーを撮る方が、こんなにお若くてちゅらかーぎーなのにも少し驚いた。さて、その三上監督の新作「戦場ぬ止み」は米軍基地の辺野古移設問題を真正面から取り上げた話題作。東京、京橋の試写会場は映画関係者でほぼ満席の盛況ぶり。

冒頭、美しい辺野古の海をジュゴンがゆったりと泳ぐシーンに Cocco さんの「(この美しい海に)トラック350万台分の土砂が投入され、軍港になる運命とは知らずに」というナレーションがかぶって作品は始まる。

まず描かれるのは、埋め立て工事のための工事車両を阻止しようとキャンプシュワブのゲート前で座り込む人たち。毎日身体をはって反対運動をする人たちの中には、あの沖縄戦を生き抜いた85歳のおばあさん、文子さんの姿も。先日NHKスペシャル「沖縄戦 全記録」でも伝えられていたが、文子さんも沖縄戦当時、糸満の壕の中で米軍の手榴弾・火炎放射器で焼かれながらも生き延びた人のひとりだ。文子さんの身体には未だに火傷による引きつれが生々しく残る。戦争後は米軍基地でも働いてなんとか生きてきたが、沖縄がまた戦場になるのをなんとか止めたいという思いで毎日ゲートの前に座り込むと言う。

作品は反対運動をする人たちだけでなく、基地周辺の様々な立場の人たちを多角的に取り上げている。例えば埋め立てによって漁業権を侵害される汀間漁港の漁師たちの銀行口座には、国から早々と多額の補償金が振り込まれたという。「お金をもらう」立場になってしまった漁師たちは、漁はせずに、朝から工事海域に船を出して晩までただ見張りをして帰ってくる。長い間、反対の立場を取ってきた漁師たちにも金は勝手に振り込まれ、「金をもらってしまったから、もう反対はできない」と、その漁師は言葉少なに言う。仙頭武則監督の「ナッシングパーツ71」では沖縄の基地地主の問題を提起していたが、権力者による多額の「金」で心ならずも懐柔させられてしまう人たちの悩み、苦しみ。その中でどのように誇りを捨てずに生きていくのか。沖縄の抱える悩みの一端がここにも表れている。

海上では反対派の人たちが工事海域でカヤックに乗って抗議するが、海上保安庁の海猿に次々と捉えられていく。ゲート前でも工事車両進入阻止のために座り込む人たちを沖縄県警の警察官が排除していく。「お前たちもウチナンチュだろうが!」という反対派の叫びはどう伝わっているのだろうか?

作品は終盤、辺野古反対を訴える翁長知事の誕生を受けて、県民がひとつになるカタルシスが訪れるが、埋め立て工事はその後も「粛々と」進んでいく。県民の声は「反対」で一致しても「国」の意向で進められていく理不尽。果たして「沖縄」以外の県にこのような要求ができるだろうか?

三上監督はこの作品を沖縄県民のためだけにではなく、その想いを本土に届けるために作ったのであろう。集団的自衛権を可能にする「平和」という言葉を冠した法案が国会で議論されている昨今、この作品は「今、目の前にある危機」を私たちに突きつける。沖縄戦で国に見捨てられ、返還後もなんとか基地と折り合いをつけて生き抜いてきた沖縄の人たちが、国が押し付ける新たな基地の負担に「NO」を突きつけるのは、二度とこの島で戦争をしてもらいたくないという魂の叫びだ。「沖縄で今、何が起きているのか?」 ぜひその目で確かめていただきたい。日本の将来を憂うる者にとって必見の作品である。

( 映画ファン的には、亡くなる直前に翁長知事の応援に駆けつけた菅原文太さんの最後の勇姿がスクリーンに映し出されたことにも感動した。三上監督、ありがとう。)
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