カラン

たかが世界の終わりのカランのレビュー・感想・評価

たかが世界の終わり(2016年製作の映画)
4.5
話せない話。

すぐにギスギスする親密な空間で母、兄、兄嫁、妹、そして自分。カメラは光を捉えながら、細かくて柔らかな対象を写しこみ、何度も切り返して青い瞳の人物たちをクロースアップする。とても瞳が美しい。澄み渡るカメラは虹彩の微細な表現まで写し出す。言葉がたどり着かない領域をカメラがなぞる。

ゴダールで学んだのだが、曲の選択はもちろんだが、音量そのものに監督は意向を持つようである。この『たかが世界の終わり』では、だいぶ大きな音で音楽がかかる。ソレンティーノもでかい音を出す監督なのだが、ここではドランはさらに大きい。話したいことが話せない、誤魔化したい、映画の人物たちも色々とあるし、ドラン本人も思いがよじれたのかもしれないが、今ひとつ効果的でないか。カメラが極めて明晰であるのと対照的。若者らしい魅力なのかもしれない。

また、マイクは精細に環境音を捉えており、他人には本来理解し難い親密空間にごく自然なリアリティを付与している。『狭き門』を書いたアンドレ・ジッドのレベルの空間描写を、映画は割と容易に実現できるのかもしれない。

サラウンドのエンジニアもリアに音を振りながら攻めていて、面白い。家庭でサラウンドに出来るならば、映画館よりも自室で視聴した方が良いかもしれない。映画館はSPが遠すぎるのと、他人が音をマスクしちゃうからね。

ギャスパー・ウリエルは喋れない線の細さを美しく表現していたと思う。ナタリー・バイは母の狼狽で空回りする愛情を、ヴァンサン・カッセルは兄の抑えられない苛立ちを、マリオン・コティヤールは所在ない兄嫁の美しい瞳を、レア・セドゥは無垢な下世話さを。レアのタバコの吸い方がいかにもガキだし、ヴァンサン・カッセルは苛ついていて吸ってやしないのが良かった。監督は役者をよく見ているし、役者の魅力がちゃんと出ていたのは、その人たちのことが好きな視聴者には大いにこの映画の価値を高めることになるだろう。
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