17.10.20 大泉#4
さらば、シーザー!
鑑賞後数日経つが、気が付くとシーザーのことを考えている。
前2作からさらに進化したシーザーが、廻りのエイプにはない「人間的な」感情を持ち合わせてしまう(だから復讐の旅に出る)ことによって周囲から浮いて苦悩する。一方で、自分の育ての親である、本来なら愛すべき人間の退化をまざまざと見せられ絶望する。最後の雪崩直前の全てを悟ったシーザーの表情が本当に切ない。「創世記」であんなにかわいかったシーザーと人間との触れあいはもう二度となくなってしまった。
やや残念なのは、バッドエイプの存在が若干ノイズになる。もしやこれは人間が退化した果てか?と勘ぐってしまった。もっとシーザーのストーリーに集中したかった。
古今東西の名作を思わせる場面や構成が多くみられるが、ヒトではなく猿が演じているのが実に楽しい。初代「猿の惑星」とのリンクも、最後の湖(ここでの万感の想い!が切ない。思えば遠くへ来たもんだ)と、シーザー次男と少女の名前だけで十分。それだけシーザーへの思いも募るというものだ。自由の女神が出てきたら、興ざめしたことだろう。
これでシーザー3部作は終了となるが、創世記:春初夏→新世紀:夏秋→聖戦記:冬と、連作間で季節感も推移していくのも見事だった。