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テイキング・サイド/テイキング・サイド ヒトラーに翻弄された指揮者のodyssのレビュー・感想・評価

3.5
【フルトヴェングラーのナチス加担問題】

日本未公開の映画です。

原作はロナルド・ハードウッドによる1995年の劇作。こちらは日本でも1998年に劇団民芸で『どちら側に立つか』のタイトルで上演されたほか、最近行定勲の演出により『テイキング・サイド』のタイトルで天王洲銀河劇場において上演されました。私は残念ながらどちらも見ていません。

この映画は上記演劇作品をもとに、イシュトヴァン・サボー監督により2001年に作られたものです。

私は海外製品のDVDで見ましたが、日本語訳はついていないので会話は必ずしもよく聴き取れず、上記劇作の邦訳を読んで補いました(雑誌『悲劇喜劇』1998年5月号掲載)。
ただし、劇作と映画はむろん異なる部分があります。例えば劇作では最後にベートーヴェンの第九交響曲のディスクを流すのですが、映画では第五交響曲になっていました。場所の設定が限られている劇作とは異なり、映画は色々な場所を映し出してもいます。

以上のような条件での感想であることを最初にお断りしておきます。

この物語は、20世紀前半を代表する指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがナチス政権時代にドイツにとどまってヒトラーなどに協力したとして、アメリカ軍少佐の審問を受けるお話です。そのアーノルド少佐はクラシック音楽のことなど皆目分からない人間ですが、それだけに、被告が凡人であろうが世界一の指揮者であろうが、ナチスに協力した罪は同じだという、或る意味民主主義的な平等観念を保持しています。

しかし、彼だけが審問をするのではない。彼の助手役でウィルズ中尉が立ち会います。音楽を愛し、フルトヴェングラーを尊敬する人物です。他にタイピストの若い女性であるエンミ・シュトラウベ。

映画の最初も劇作とは異なっています。劇作では最初からアーノルド少佐の事務室で始まるのですが、映画では大戦末期に大聖堂でフルトヴェングラーがベルリン・フィルを指揮してベートーヴェンの第五交響曲を演奏しているシーンから始まります。しかし連合軍の空襲で停電になり、演奏は中断のやむなきに至るのです。(ちなみに、ベルリン・フィルの演奏会は大戦末期になり連合軍の空襲でベルリン市内の安全が確保されなくなっても続いていました。ベルリン・フィルの団員は若い男でも兵役を免除されていました。なぜなら、音楽を聴くことはドイツ人にとって必要不可欠と信じられていたからです。ナチスの或る種の芸術信奉がうかがえる事実です。)

この映画の中心はむろん、アーノルド少佐によるフルトヴェングラーに対する尋問です。少佐はありとあらゆる手段を尽くして、場合によってはカマをかけて、フルトヴェングラーにナチス協力を認めさせようとする。芸術と政治は別物だと主張するフルトヴェングラー。アーノルド少佐はフルトヴェングラーが私生児をもうけていたことや、当時新進気鋭の指揮者だったカラヤンに嫉妬していたことなど周縁的な事実までもちだして、また事実関係が怪しげな噂まで拾い集めて、フルトヴェングラーを責め立てます。

この映画では、誰が最終的に正しいのかが提示されて終わるわけではない。そもそも、そんなことは一義的には決められないからです。たしかにアーノルド少佐はフルトヴェングラーをぎりぎりまで追い詰めて心理的なダメージを与えてから帰します。しかし、その直後、ウィルズ中尉はフルトヴェングラーが指揮したディスクをかける。電話がかかってきたのでディスクの音がうるさいと文句をつけるアーノルド少佐をも無視して、ディスクは鳴らされ続け、去って行くフルトヴェングラーもその音楽に気づくのです。政治とは別の、芸術の世界がたしかに存在するのだということが暗示されているのでしょう。

現実のフルトヴェングラーはナチスに積極的に共感したことはなく、たしかにナチス政権下で指揮を続けましたが、他方でユダヤ人音楽家を多数救い、また演奏活動でも可能な限りナチスに迎合しないように注意していました。ただしそうは言ってもあくまでナチス政権下での活動ですから、反ナチスの立場からすれば協力していたと見られても仕方がない部分もあります。

これに対して当時は若手の有力株だったヘルベルト・フォン・カラヤンは自分から進んでナチ党員になっていますが、戦争直後はフルトヴェングラーほどその活動を問題にされませんでした。若手だったからでしょう。(ただし後年、その問題が何度も蒸し返されています。)フルトヴェングラーは大物だったからこそ、叩かれやすかったのです。ただし、大物だからこそ行動には注意しなければとも言える。ここは難しいところでしょう。
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