むーしゅ

サウルの息子のむーしゅのレビュー・感想・評価

サウルの息子(2015年製作の映画)
3.2
 ハンガリーの映画監督Nemes Lászlóの長編デビュー作にしてアカデミー賞とゴールデングローブ賞で外国語映画賞を受賞した作品。カンヌではパルムドールを「ディーパンの闘い」に持っていかれましたが、系統はかなり近い作品です。

 アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所でゾンダーコマンドとして死体を処理していたユダヤ人のサウルは、ガス室で見つけた少年の死体を自分の息子だと思い込む。サウルはその息子の死体をユダヤ教式で埋葬するため、収監された人の中からラビ(指導者)を探すことにするのだが・・・という話。まず感じるのが、アカデミー比の映画であるということ。1.37:1というアスペクト比ですが、テレビでお馴染み16:9と比べるとかなり正方形に近く感じます。また冒頭笛の合図でサウルが画面の奥からカメラに近づいてきて以降、画面の半分はサウルの顔や後頭部に覆われており、物語は残りのスペースを利用して進められます。しかしその残りのスペースさえも、人間の知覚に近い作品としたかったという監督の意向により40mmレンズが採用されているため、被写界深度の浅さからサウルの顔にピントがあった状態では背景で何が行われているのかほとんど見えません。ゾンダーコマンドの日常業務は死体処理なので、直接見なくて済むかつ見えないことにより恐怖が増すという効果が期待できますが、構成されている映像が独特すぎて慣れるのに映画の半分の時間を費やします。拘りは理解できますが、やりすぎ感も感じる映像でした。

 しかしその映像を補助するための、音への拘り方がまたすごい。実際撮影が約1か月で終わっているのに対し、サウンドデザインには5か月費やしたそうで、監督の本気度も窺えます。別に難しいことをしているわけでも何でもないんですが、ただ床の血を擦る音、血を洗い流す水の音などの環境音にかなりこだわっています。映像上は何をやっているのか全くわからないのですが、音を聞くことで今死体を引きずって運んでいるのね?などの想像ができるようになっているわけです。映像の拘りは挑戦的意味では良かったものの、物語にとって良かったのかと考えると限りなく謎ですが、音の効果によりその部分が中和されていて、上手くカバーされたなという感じでした。

 物語に関してですが、本作は強制収容所の囚人によって構成さえたゾンダーコマンド達を描いた作品で、実際にアウシュヴィッツ強制収容所で起きた彼らの反乱に絡める形で進行していきます。続々と収監される仲間のユダヤ人達を殺されるとわかっていながらシャワー室(ガス室)へ誘導しなければならないゾンダーコマンド達に思わず言葉を失います。またそんな彼らももいつ自分が殺されるかわからない状況で、日々ひたすら死体を処理するだけという生活を送るわけですが、「ライフ・イズ・ビューティフル」などの単に収監されているだけの人々とは別の恐怖を感じます。この大量殺人が行われていたシャワー室の多くは、現在では証拠隠滅のため爆破されほとんど残っていませんが、確かにこういった映像を見てみると戦況が悪化したタイミングでその判断にいたったことがわかるほど衝撃的です。また本作は暴動が実際に起きるまでの1日を描いた作品ですが、息子の埋葬で頭がいっぱいになっているサウルと、次は自分の番ということをいよいよ理解した周りとの緊張感の差がすごいです。しかしサウル自身もひょっとしたらその緊張感によりおかしくなり、今まで犠牲になった子供達を投影した少年を代表として埋葬してあげたいと感じたのかもしれません。こんな歴史があったということを記録しておくには絶妙な怖さを持った映画でした。ちなみに実際にアウシュヴィッツ強制収容所起きた反乱では、彼らのようなゾンダーコマンドがこの事件だけで451名も殺害されたようです。

 さてかなりショッキングな内容であるにも関わらず、最後まで見るとわりとあっさり終わります。このあたりが記録映画になってしまっている原因かと正直思うんですよね。別にすさまじいバッドエンドでも良い、というか覚悟もできているので、物語性を重視してもよかったかなと思いました。そういう点でも「ディーパンの闘い」と似てるんですよね。面白いとかおススメとかいう感想よりも、重いが先にくる映画でした。
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