せいか

ロブスターのせいかのネタバレレビュー・内容・結末

ロブスター(2015年製作の映画)
1.5

このレビューはネタバレを含みます

自分用メモ

9.5視聴。レンタルDVD。
きっかけ:ランティモス映画を一気観している流れで。

ランティモス作品、どれもかなり非現実的なところがあるはずなのに、生々しい吐息をはいてすぐ隣に顔を近付けてきているような気持ち悪さがある。


前半が施設暮らし、後半が森での暮らし。
森の中にはたぶん動物に姿を変えた人を放っているのか、やたらいろんな動物がいておのおの勝手に動いているのでシュールである。


前に観た『籠の中の乙女』同様、設定がおよそ現実的ではなく、かといってファンタジーともいえない生々しさも持った作品である。尚且つ、そうした描写はいちいち象徴的に描かれたナイフとなってこちらに振りかざされている。このへんの味の出し方がランティモス映画の特徴の一つなのかもしれない。

本作は独身者に厳しい世界の話である。とにもかくにも人間にはつがう相手がいないと人間としての生存が許されていない。かといって究極の産めや増やせやというか、子孫を残すことを重視しそこに価値をおいているわけではなく、同性愛も認めている社会ではある。「愛する人がつがいとなること」が重要なので、主人公が冒頭、妻に「もう愛していないから」と別れを切り出されたように、惰性的、慢性的に、保身のためにも一度繋がった相手と取り敢えずずっといるということもないようである(そういう打算的な関係を築いている人もいるのかもしれないが)。
パートナーさえいれば生活は現実の日常とそう変わらない生活を送れるようだが、独り身であれば施設に送られ、徹底的な管理下の中、到着した日を含めて45日以内にパートナーを見つけなければ(自分が望んだ)動物に変えられてしまう世界であるが、人々にはそうならないための必死さはあまり感じられず、基本的に淡々としている。

あと、期限が過ぎた後になる動物で人気なのは犬としているが、猫だとか、適当にすぐ死ねそうなやつだとかではないんだなあと思いもしたが、『籠の中の乙女』でも犬が重要な位置を占めていたように、そこにある飼い慣らされた奴隷根性、飼い慣らされる(主従関係)のをよしとする向きの表現の延長だろう。あと、犬と言えば人のパートナーとしてあるものといえるので、そこへの執着というか、犬になって上下関係がある上でどうのという気持ちがあるのかもしれない。一瞬しか作品では触れられなかった箇所だが、不健康な精神のあり方がつまりに詰まっているとも思う。主人公が飼い犬(彼の兄らしい)を連れているのもこのへんの意図があるのだろう。
ちなみに主人公が冒頭で施設の人間に尋ねられて答えたのがロブスターになりたいというものである(飼い犬もいるけど犬とは言わない)。ロブスターは多分、アメリカの俗語だと「まぬけ」などを指すので、それを意図しているのかもしれないが、本当にそうなのかは不明。とはいえ、この作品世界の人々(ないし、本作で象徴化しているわれわれの世界)をそう揶揄していると解釈すれば、こうとるのもさほど誤りではなさそうに思われる。
施設の人が、動物になってもパートナーは見つけられる、散歩やセックスはできると言っているのも不気味である(ただし種族を越えることは許さない)。

施設の管理方針(徹底した規則に従わせる。こういうのもランティモス映画の特徴と言えるだろう)でも見られるように、0か1かのごとく、1か2かという価値観が強いのも特徴である。そしてもちろんここでは2を正義とする。とかく偶数を重んじていて、配布される服なども2で割り切れる数で同じものを(バスローブなどは1枚のようだが)、靴のサイズに.5はない、(以前までは許可していたが、)性的指向は異性愛者か同性愛者かはっきりしておくことなどなど。

ランティモス作品なので性処理に関する描写もやはり当然のように差し挟まれる。施設では自慰行為は禁止され、職員が定期的に擬似セックスを行う(お互いに服を着たまま下半身を擦り付ける)。ただ、勃起するまでしかしないのかな。このへんの処理もあくまで機械的で、相手が興奮して続きを求めても無視されている。
また、自慰も監視され、食事の席でお叱りを受けるといったものである。ひえー。裸で馬に乗った女性をオカズにしたという告白に対して、職員が、私なら馬のほうに興奮した。そいつもかつては小心者だったと詰るのも、ひえーである。端的に異常さをえぐり込んでくるよなあ。特にここであげつらわれている男性は真面目にパートナーを探してそれなりに首尾よくやっている人で、そういうところは無視されて晒されていたり、この妙な現実との親和性よ。その上、その場でトースターに手を突っ込ませて焼くという過剰な折檻もする。なるほどそういう拷問方法もあるのかと膝を打ちつつも、異常なまでの不寛容である。性や人間の情に対する極端さよ。
性的興奮自体はよしとするのは、それがパートナーを見つけるのに役立つとされているからで、管理下においている人々の気持ちなどはそっちのけである。この極端な認識もやはりなんか生々しい既視感を感じるものである。
狩りのバスの中で脈なしなのに、性的なアプローチ(それこそソドム行為なども開けっ広げ)を持ちかけて話してくる女性がいたり、秩序と規則の歪みはここにもでている(この女性は、伴侶が見つからなければ身投げして自殺するから覚えておいてとも脅す)。

この徹底して現実をある種抽象化させた、愛でもって懐の広さを偽ったような排他的な不健全社会は冒頭だけを観ても明らかなように、その実、全然「愛情」からは程遠い社会でもある(愛したパートナーといた過去は無視され、死別による別離であろうと次を機械的に求める社会機構でもあるところにも端的に現れている)。むしらそれを軽んじているともいえるだろう。ランティモス映画、この形容ばかりしてしまうが、気持ちの悪い映画である。そしてほんとに現実の生々しさを切り抜いてもいるとも思う。この歪んだ社会の有り様はどこか見覚えのあるものとして感じられると思う。

施設の人で同じ欠損(=共通の悩み)を持っていないといけないみたいな考えに囚われているのだろう男性もいたりして、そこもあれである。自身の片足が悪いのだが、前の妻も同じだったとか、新人のあの人はあくまでただの捻挫だとか。それでそうした同じところがない女性へのアプローチに、その女性がよく鼻血を出すひとだったからこっそり無理矢理鼻血を出すことでその溝を埋めて近付いたり。そして騙した形で駆け足でカップルとして成立する。

仲のいい昔からの友達で一緒に入所していた女性が相手を見つけた中(上記の鼻血)、もう一人は期限が迫ってあと一日をどう過ごすかというやりとりの中で、その友人が、上辺だけの勝ち組意識と相手への劣等感の吐露(これも勝者によるうわべでしかない)にまみれた手紙を読み上げてビンタをされていたり、ここもいちいち生々しい。
この人は主人公にアプローチをかけられていても必死にならずある意味自然で受け答えていたし、こういってはなんだが、若くて美人で引く手自体は困らなさそうなのにここまできてるということは、自分を偽らなかっただけだろうに、その高潔さが報われてはいないかんじがまた社会の歪みである。そしてひとりで『スタンドバイミー』をみて過ごすと言うのも切ない(直後、たぶんポニーになった彼女が友人とそのパートナーに見送られる様子が映る)。

施設に入っている独り身たちに、森に潜む独り身たちを狩らせるという設定もなかなか気味が悪いものがある。いい感じのスローモーションといい感じの音楽で男女が麻酔銃を手に森の中を駆けるシーンはやや印象的。枝葉に苦しみながら狩りをする緊張感が吊り橋効果的なものにもなっているのが、あー、ほんとに気持ち悪い。気持ち悪いけど、ここで仮託されている現実のかおりもしっかりと臭っていて、なおさらそこが気持ち悪い。気持ち悪い!!!
また、ここで1人確保するごとに猶予期間が1日延長するという決まりがあるばかりに、皮肉にも、残酷であったり冷酷に職務に徹することができるほどその恩恵が与えられる現状で、感情がない残酷な女性だといわれている人間が150日くらいの猶予期間を得ていたりする。こういうシステムの歪みもなんだか見覚えがあるなー。なー。

性的アプローチをかけてきた女は結局飛び降り、かなり低い階だったから即死もできずに無様な叫び声をあげる。主人公はそれを見つめてティータイムを続ける例の冷酷な女性にアプローチをかけており、すぐに死ぬといいなと、最近狩りでもって言ったらしい言葉を繰り返した後、やっぱりもっと苦しんでほしいけど、あの叫び声は厄介だ、部屋で眠れないとぼやく。このへんなどもランティモスらしさがでている。監督、エゴイズムを描くの好きよね……。
好きでもないものを好きなふりをするのは、好きなものを隠すよりも大変だと独白していてことらも肯いていた直後のこれである……。
主人公のアプローチはややうざいくらいだと思うのだが(無感動な人間からしたらなおさら)、冷酷女性は存外うまくやって、風呂で突然苦しむ演技をしてもただ眺めただけの彼に対し、自分と気が合うと認める始末である。こわい。そしてそのままカップル用のダブルルームに移動する。彼は彼女へのアプローチのとき同様に周囲へも冷酷にふるまい、セックスもするが、もうランティモス作品三作目の視聴となるとこれもおなじみだが、愛のない無機質な感じのセックスである。キスしようにも拒まれもする。
二人で暮らすうちに女は彼の犬(中~大型犬)を踏み殺す。主人公もこれにはさすがに応えたようで、それでもそれを我慢しようとしたが、相手にはお見通しだったのでビンタをされる。「どうして嘘なんかつくの 嘘の上に恋愛関係は成り立たないのに」とそこだけ取れば大体において至極ごもっともなことさえ言われる。
彼女との関係で彼女好みに振る舞う彼の態度だとか、始終イニシアチブを握られているところだとか、ここもまた監督作品特有のイヌ描写だと思う。
彼女が異常な振る舞いをしたのに、首根っこを掴まれて罰を受けるため(誰も望まない動物にする)に移動したり。その移動の途中で反撃して逃げ出し、逆に麻酔銃で黙らせるのだが。
彼はいつの間にやら女性職員に手伝ってもらってこれをなすと(曰わく、なぜ手伝ってくれたかは謎であるらしいが、森のコミュニティーのリーダーと内通していたので手をかしたのだろう)、彼女が兄にしたことと同じこと(そしてさらなる苦痛を与える)をして復讐をしようと試みるも、麻酔で気絶している人間に何をしても無駄だとして、動物へ変身させる部屋にやって勝手に姿を変えたとか。ここも具体的にどうしたとかは語られない。
そしてそのまま逃走して、いつも自分たちが追いかけ回していた、森の中にいる独身者たちのひそかなコミュニティーに加わるわけである。そもそもどうしていかにもヤバそうなあの女性にアプローチすることにしたのかは謎である。
この森の中での逃走の様子の中、ナレーションが説明するように、こうした社会との断絶と独りで逃げ惑うことを通して、彼はそれまでは独りであることがどういうことなのかを知らなかっただとかいうことが描かれる。要はここは孤独の表現なのである。

森のコミュニティーもまた異常で、今度はてっていして恋愛行為を許さず、性行為も違反と見做す社会である。違反者は二人とも唇をカミソリで裂いた上にキスをさせるとか。こちらの拷問もなかなかである(いろいろ段階に分けてやっているようだ)。ダンスナイトとやらも独りで踊るものとされる。極端さよ。でもその極端な振り切りもどこか既視感があるのだよなあ。こういう描写がすごく巧みである。訓練の中で罠にかかった者が出ても放置され、ここが不用となれば切り捨てられる自己責任社会であることが露骨に描かれる。既視感ーーーーっ! 逃げれたら追ってくればいい、死ぬなら死ね、奴らに捕まればひどい動物に変えられるぞとリーダーに突き放されても、ただ「はい」と従順に答えていたり、こちらもこちらでイヌである。ランティモス作品は人間を獣として描くのが好きよな。
墓さえ自分で掘らなければならないのがここなのであるが、本当に土を自分で掘るようなことはしないだけで、そういう冷たさも現代ではかなり身に迫るものはある(かといって、パートナー至上主義社会のほうもいびつなものなので、こういう自己責任社会とほとんど似たり寄ったりでもあるのだ)。

なにはともあれ、訓練の中で、このコミュニティーで同じ近視仲間でもある女性が主人公にほぼ一目惚れして、顔馴染みの追っ手に迫られていた主人公を助ける(この時に彼は滔々と独り身の自由と仲間の不要さを語るが、ここも妙に耳が痛い)。自助社会において他力はよくないので、彼女はこれは内密にして、礼がしたければウサギを持ってくるようにと言い添える。

一方では施設の女性職員と森のコミュニティーのリーダーがチェイスが行われる中で密かに取引を行う。必要物資等を渡していたわけである。
職員はもう夫との暮らしも限界だからこの取引は続けられないと打ち明けるけど、このときに挙げる夫への不満が端から聞いているとささやかすぎるくらいなのがまた生々しさがある(のちのシーンいわく、脱走ついでに歯医者である夫の胸にドリルを突き刺してきたらしい)。(そして事故責任社会ゆえ、彼女が欠けることもリーダーは寛容に許すわけである。あちらが立てばこちらが立たずよな。)
あと、仮のカップルを作って複数組で街に侵入して買い物も行っているが、これも先方にはバレた手法らしく、独りでうろついていると靴に土が付いていないかとかもチェックされている。何を観ているんだろな私は……。

シングル勢力は施設のカップルを破壊する業務もあるらしく、夜間に密かに侵入すると40分の間にあの手この手で不和の種を蒔く。こういうところも表面だけ見ればなかなかシュールでそれだけでもなんかまた既視感が出るが、こういうのに仮託されている殴り合いもよく見る光景ではある。

そしてダンスナイトで黙々とみんなが孤独に踊る中、飛び抜けて奇抜で滑稽な踊りをするのが女性職員なのだが、この感じ、『籠の中の乙女』の例のシーンを彷彿とさせる。が、あそこまで気味が悪くはない。

主人公は街での買い出しで何度もキスしたり、森でも他の男に牽制をかけたり、かなり直裁にいちゃついたりと、露骨にやりたい放題である。どちらの世界の社会規範も守らないというか馴染めないというか。その良し悪しは言うものでもないのだが。
それで二人だけが分かるジェスチャーを作ったりして過ごし、どうやらセックスまでしている。さすがにこの辺になると、どう現実世界が仮託されてるかとかよりも、ようやるわという素直な感想が勝るところである。
前半もこいつ馬鹿だなーと思っていたが、後半は輪をかけていてとにかくイライラするが、それはこの歪んだ社会規範を守らない彼にイライラしているわけで、そのイライラさえも歪みになりかねないところが悔しい。大人しく従順に生きる男であるなら彼は飼い慣らされた犬でしかないわけで。この社会を是と見るのかという話にもなるのだけど、社会規範は守らなければ秩序は保てないわけでのぐるぐる迷走である。そして暗黙のうちに従うことを良しとするのも果たしていいものかとか、自粛警察的な問題も垣間見えるわけで、本作が極端な表現をされているのでまだいいけど、このへんの答えのなさは現実にも見いだせるものでもあり。ほんとにここまでウンウン唸って観るものなのかと思うものでもあり……! やっぱりロブスターって、マヌケの意味で言ってはいるんだろうなと思うところでもあり!うおおおおお
コミュニティー仲間(雰囲気違うけど、たぶんリーダーである)の実家に行ったときに夫婦の演奏を聴きながら露骨に盛ってたのは取りあえず西洋社会の視点での普遍的な倫理観でも愚かしい行為だとは思いますが。馬鹿だよなあ。恋愛に発展するにしてもどうにでも隠せるだろうに、互いに人目のあるところで求め合う(ジェスチャーにしろ)。ここも人間を獣として描く監督らしさが出ているのでしょうが。あととことん表現が極端。
主人公、前半では冷酷な演技をして見せたところといい、後半で足の悪い男の嘘を暴露して破綻させようとしたりといい、ある種の自分に素直なところといい、愚昧よな。そら妻から別れも切り出される。
いろいろバレバレな中で(それでも仲間は罰を与えなかったのは優しさだと思うのだが)、相思相愛だから街に逃げよう!って森の中で例のジェスチャーで会話をするのだが、周囲の人々とは違って二人だけ明らかに挙動不審で、彼らがいかにこの社会からはみ出しているかが露骨に表現されている。
他のメンバーがノートを読み上げていて、二人のことは筒抜けなのである。まさかわざわざ書き残していたわけではないよな???と思ったがそのまさかで、彼女は詳細に書き記してしかもそれを落としたわけでアホ極まれりなのであった。
それで主人公は墓穴を掘らされて(すごく浅いぞ!)自分で土を覆わされてしばらく放置(ぜんぜんかぶってないぞ!)、ヒロインは近視を矯正するという名目で連れて行かれた病院で失明する。キレたヒロインが森の中でナイフを振り回すとリーダーは別の女を楯にしていたり、刺された女と同じ振る舞いを演じたり、反吐が出るシーンの連続である。仲間の死よりもヒロインを連れて帰ることを優先するのもなんだかなである(見せしめの目的が強いにしても)。
無事に帰ってきたあとはまた主人公が近づいて失明を知るのだけれど、その後も二人きりでのやり取りが映し出されるように、接近も二人きりになることも禁じられてはいないどころか(さすがにもうキスもしないようだ)主人公めちゃくちゃ五体満足である。このまま連れて逃げることだってできそうなのにそれを試みようともせず、よく言えば献身的に彼女の相手をする。ムカつくぜ。
とはいえ、幾日か(?)経て逃げる心積もりをつけると、彼はリーダーを昏倒させて縛った上で犬の彷徨う墓穴に放置し、街用の服を着て二人で街へと逃げ出す。そしてわざわざファミレス的なレストランでナイフをもらうと(何か注文しろよな)、そのトイレで目を突こうとする(が、実際どうするかは描かれない)。席に残るヒロインは定員に水を継ぎ足されると静かに礼を述べて待ち続けるが、これもすごく自然すぎて本当に失明しているのか疑うような終わり方である。
ラスト、冒頭からそうだったように、愛し合うにはお互い同じ欠点を持つべきであるという通奏低音が登場人物たちにあったり、みんなすごく愚かで、こわい作品である。お互いに支え合うということを履き違えている人たちを描いているんだよな。主人公の失明を望んだのがヒロインからなのかは知らないが、その直前に主人公がヒロインになにができるのかをひたすら尋ねたり、やや一方的にドイツ語教授を話したりしていて、たぶんここが彼女のエゴを拡大させたのだろうし、ヒロインはヒロインで森の中ではひとりでもはや生きていけないからウサギを取ってきてとか物当てゲームの物を持ってきてとか言っていたように、森で共存する限りは主人公を利用するためにそんなこと提案はしなかっただろうし。物当てゲームではろくに物を当てられない彼女に優しさを見せた主人公も報われないというか。他の人たちもそうだったけれど、自分に迫る不幸との天秤、他者を犠牲にするのはよしとする態度、容易に剥がれる面の皮がとにかくずっと語られ続けていたのだった。
足の悪い彼は嘘を暴露された後は描かれなかったが、それでも結びついたのだろうか。でもその彼女だって親友と呼んだ女性に傲慢な態度を見せてもいたわけで。潔白な人間なんておよそいないものとはいえ、どこもかしこも気持ちの悪い蛆虫たちの蠢きみたいな、そういうの描くのがほんと巧みである。

ランティモス作品なぜこんないつもキモいのかーーー! アーーーー!!!
せいか

せいか