ジャン黒糖

ロブスターのジャン黒糖のレビュー・感想・評価

ロブスター(2015年製作の映画)
3.8
一躍その名が知れ渡ったきっかけともなったランティモス監督、初の英語圏作品『ロブスター』。
自分も公開当時からこの作品の存在は知っていたものの、結婚しないと動物に姿を変えられてしまうという奇妙な世界観と、ゆえのタイトル『ロブスター』に、ちょっと触手が伸びなかったけれど、ランティモス監督作にどハマり中ということもあり遂に鑑賞。
いや〜触手が伸びないのも納得の、変な映画だった!けど!これ、『哀れなるものたち』鑑賞後に観て良かった!
ランティモス監督は女性を前にしたときの男性の滑稽さを描くのが上手い!

【物語】
独身者の成人は45日以内にパートナーを見つけないと動物になってしまう世界。
主人公のデヴィッドは12年一緒だったパートナーを亡くし、動物姿となった実兄と共にパートナー探しの施設にやってくる。
パートナーを探そうと行動に移すデヴィッドは、徐々にこの世界におけるルールから外れていくなかで、ある人物と出会う…。

【感想】
一定期間独身の状態を継続していると動物になってしまうというルールが常識と化した世界観が奇妙で面白かった。
劇中には何人か、関係解消や死別によってパートナーを失った人物が登場するけれど、その失った理由やパートナーを失うことによる喪失感はほとんど描かれない。
パートナーと死別するコトは、この世界においては自身が動物になってしまうまでのタイムリミットの発動条件を意味するからだ。
なので、もしかすると本作に登場する主人公のデヴィッドやベン・ウィショー演じる足の悪い男は、亡くしたパートナーとの出会いもまた、今回のような"選ばざるを得ない"ルールに縛られて選択したのかなとも思った。


この世界を生きるには4つのパターンがある。
1つ目は動物になることを避けるべくリミット内でパートナーを選択し、共に暮らすこと。
2つ目は動物になることだけは避けるため、パートナーを見つけるまで絶えず独身の人を捕らえてはリミットを延ばすこと。
3つ目はパートナーを得ることなく動物になること。
そして4つ目はパートナーはいらないし、動物になることも避けるため、ルールの外で捕まらないようサバイブすること。

この世界を生きる限り登場人物たちは何かしらの妥協を強いられる。
同監督作『籠の中の乙女』に引き続き続投となったアンゲリキ・パプーリアが演じる"Heartless Woman"は2つ目のパターンを選択し、一見すると他の人たちに比べたら妥協できない意志の強い女性に見える。
ただ、パートナーと本来であれば愛をもって為される行いが彼女にとってはサバイブする手段でしかなく、クレジット名通り感情を露わにはしない彼女もまた、その裏返しとして"愛情"を得ること、パートナーからの"愛情"を受け入れることを諦めてしまった女性として、観ていて胸が痛む。
(この頃のランティモス監督作のこれは特徴なのかわからかいけど、役名が名前とかじゃなく見たまんまのロールでクレジットされてるのが、なんだか主人公との距離感をも表しているようで面白いっすよね)

では主人公デヴィッドはどうだったのか。
彼は、本作を通じて上記4つのパターンそれぞれの可能性に触れる。
実の兄を犬に変えられた彼は、自分は動物になるとしたらロブスターというが、当然動物になることは避けるべくパートナーを探し、リミットを延ばそうと独身者を捕獲こそするも同じ人間として良い気分はしない。
途中、メイドに抜かれる場面も、自慰行為を禁じられた施設において建設的にパートナーを見つけるためのあくまで手段に過ぎず、なんと息苦しい世界か。。
やがて彼は4つ目のサバイブする世界に触れることになる。

ランティモス監督作にしては珍しく?"支配された世界"の外に抜け出し、サバイブする人たちが体制側に反旗を翻そうとする姿は面白かった。
ただ、そこでも彼はようやくパートナーになると自発的に思える相手と出会ったにも関わらず、結局は外の世界においても存在する、彼の思いに反した"ルール"を突きつけられる。
この、前半と打って変わって恋愛禁止側になったデヴィッドが、表向き恋愛至上主義の体制側を欺くテイでガッツリ人前でキスに夢中になる場面は笑ってしまった笑


そして4つすべての可能性に触れた彼はある出会いを果たすことで、これまでになかった5つ目のパターンを模索する。
このラストをどう捉えるかは観客に委ねられる。
ランティモス作品は観客に解釈を委ねるラストが常に印象的だけど、本作はどう見えたのか。


自分は正直わからなかった。笑

でも、このわからなさが、男性の愚かさなのかな、と。
本作に登場する男性陣は、悉くパートナーの気持ちすべてをわかってはいない人たちとして描かれる。

ベン・ウィショー演じる"Limping Man"は、鼻血の出やすい女性に近づくため、テーブルに自分の顔を叩きつけて鼻血を出す。
『籠の中の乙女』のラストや『女王陛下のお気に入り』のアビゲイルなど、ランティモス監督作でお馴染みの顔面殴打自傷シーンが本作でも観られる。笑

デヴィッドも、"Heartless Woman"にアプローチする際、自分がいかに冷徹な男性かを示そうとする。
この滑稽さたるや。。笑

その点、男性がパートナーになりたくて共通点を見出そうとする醜い行為のうち、ある意味行き過ぎた行為がラストの場面だったのかなと。
ただ、意味はまったくわからないっすよ!笑
女性側には、自分と共通点がある男性を好きになるツボでもあるんですかね、いや〜女心わかんないっすよ!!笑


でも多かれ少なかれ、人が誰かとパートナーになろうとするとき、こういうちょっと無理して相手に合わせちゃうところ、あるよね。
という男性サイドの恥辱を味わえる。

『哀れなるものたち』におけるダンカン、ゴッド、マックス、ハリーらのそれぞれに持ち合わせている男性の痛々しさも印象的だったけど、本作もまたブラックコメディ的な皮肉が利いてて笑っちゃうけど他人事じゃない痛々しさもある。
いや〜ランティモス監督、沼っちゃいますよ!笑


しかも、観終わって本作の奇妙ぶりを思い返してみてさらにハッと気付かされたのが冒頭のあのショッキングな場面。

本作はほぼ全編にわたって、男性が相手に寄り添おうと愚かにも共通点を作り出す姿の滑稽さを描いている一方で、共通点を相手に見出せずに自分の道を選んでしまった姿を元パートナーはどう思っているか、というもう一つの視点がこの冒頭で描かれていると自分は観終わって思った。

もう一度この作品におけるルールをおさらいすると、この世界では関係解消や死別によってパートナーを失った人は45日以内に次のパートナーを見つけないと動物になってしまう。

ではあの冒頭の構図はなんだったのか。
それを考えるとこの映画の奥行きがグッとさらに広がった気がした。

あかん、完全にランティモス監督作に沼ってしまいました。
自分だったらたしかにこんな狭い世界でのパートナー選び、絶対イヤだけど動物にはなりたくないから結局自分も無理しちゃうだろうな〜…笑
自分が動物になってしまうとしたらなんだろ、犬かな笑
ジャン黒糖

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