えいがのおと

オーバー・フェンスのえいがのおとのネタバレレビュー・内容・結末

オーバー・フェンス(2016年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

普通に向き合う人々の、越えられない心の柵の物語。

函館三部作の完結編として話題を集めていた本作ですが、前の二作は見ずに鑑賞した。
まるで刑務所の中のような、職業学校で大工を習う義男(オダギリ)は、独特な同級生の中では、いたって普通に見えるバツイチ男である。しかし、その元妻との別れを忘れられずに、半ば退廃的に生活していた。
職業学校外での付き合いを断る義男であったが、まともに見えることを理由として、代島(松田)から共同経営の話を持ち出され、聡(蒼井)を紹介される。
傷を持ち合う、義男と聡はお互いを意識していき、次第に義男は変化していく。
この映画の特徴はなんといってもタイトルが、物語っている。
印象的な動物園のシーンが表すように、ある檻に閉じ込められた2人は、開けられても逃げない鷹のように、開かれているのに、越えられない柵に悩まされている。
自分は普通だと思っていたのに、普通でないとして妻を苦しめた過去、そんな過去を引きずり、苦しみ悩む普通でない自分が、周囲からは普通と見られる。そのギャップに苦悩する義男は、普通でないことが悩みの普通でない聡に惹かれていく。
職業学校の教官が語るほど、簡単ではない、心の傷からの越境だが、ラストシーンのホームランボールは、その中でもわずかな気持ちにおいて希望を感じさせる。
そうした、越えていくフェンスがテーマの本作は、とても作為的に多くのフェンスが、映像的に映し出される。
義男と聡の出会いは、室内の小窓のようなフェンスを超えることから始まるし、前述の動物園の檻、野球場の柵など、彼らを描き出すものとしても映されている。
一方、その他多くのフェンス達は、私たち観客を柵の外から観察するものとして隔たりを意識させる。冒頭の喫煙所のシーンはフレーム内の半分が壁であり、盗み見する形で導入されるし、義男の家のシーンはほとんどが、襖越しの後ろ姿が映し出される。その他にも多くのシーンが、フレーム内のフレームが作り出された形で描かれている。
そして、それらのシーンの多くは夜であったり、日に当たることで影がある義男が映し出されており、逆にフレームが排除される義男が映し出される時、義男の心が描かれる。つまり、こうした撮影は、私たち観客自体がオーバーフェンスして義男らに迫っていることを感じさせるのだ。
また、普通に思われる職業学校での義男は、能天気なほどの太陽に照らされているのに対し、苦悩を見せる義男は、表情がわからないほどに暗く映されている。
こうした、撮影工夫が多くなされて、象徴的にテーマが描かれているのが本作の特徴だろう。
また、劇伴も印象的だった。
昼間の能天気な画面で映える音楽から、シリアスな感傷シーンまで、統一性を持ちながら振り幅のある音楽は、音の少ない本作の世界観を方向付けていた。
そして、メインの2人の演技である。ドラマ「おかしの家」でも見せた、落ち着いたところにある闇を、オダギリはうまく表現していた。
しかしなんといっても、蒼井優である。妖艶で抑えめなものから、激情的なものまで広く演じれることは存じ上げていたが、指輪について声を荒げるシーンで発する声は、別人かと思わせるほどであった。また、単に起伏の激しい人というだけで終始せず、そうした二面性の内にも、ある種の一貫性を持たせるものが感じられた。

おそらく誰もが抱く生きづらさを、解決は出来なくとも、少し救ってくれる、そんな作品であろう。