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この世界の片隅にのmygのレビュー・感想・評価

この世界の片隅に(2016年製作の映画)
4.8
なるほど、これは名作だ。

塾で教えている時、「太平洋戦争の激化で国民が被害を受けたのはいつ頃だと思う?」との問いに、塾生の殆どは「1941年〜43年頃から?」と答えた。
戦前〜戦後直後に至るまでの、史実に基づいた体系的な一般家庭の「日常」を描いたアニメ作品は、そう多くない。この映画を観ると、あの塾生らの価値観は一変するかもしれない。

舞台が広島の呉というのには驚いた。ちゃんと伏線が後々にも回収されている。広島の悲劇的な被害のことはご存知の通り…とメインに描写はせず、妹の痣やめまいという症状だけから原爆の影響を想起させるところなど、鑑賞者を信用しているのがシーンの節々で伝わってくる。数秒なのにインパクトの強い部分も多い。市内から歩いて来た黒焦げの人、時限爆弾のこと、喧嘩しながらも周作が空襲からすずを守るシーンなど、胸が締め付けられる想いでいっぱいな場面が散りばめられている。風景をキャンパスに描くような描写も、どんどん沁みてくる…。単純な掛け算では表現できない構図ではないか。

「ほのぼの」した日常で、難あり苦ありの中でも楽しさを見出そうとする家族の姿、時間の経過で感じる、爆撃によって拗れる家族のやるせなさは、場内の空気で一同に共感していたような気がした。政府や軍内部の組織病理や暴力が一切描かれていないのも、印象に残る。

人さらいと称される怪物が出てくるところは、アニメのなせる業だ。これもまた面白い仕掛け。
この映画は、主人公・すずの美しい単純な成長物語でもなく、敵や責任の所在を追及したいように見える映画でもない。

この映画は、渋谷のユーロスペースで観た。場内の私の席後ろに杖をついた老夫婦がいらっしゃった。このユーロスペースは渋谷独特の上り坂の途中にあり、しかもビルの3階にあるから、お年を召したお爺さん・お婆さんが、わざわざ杖をついてこの映画を観に、足を運ばれていたと拝察する。エンドロールが終わった時にはもういらっしゃらなかったけど、どういう想いであの映画を鑑賞されていたのか、どんな所感を抱いたのか、先述した塾生らの予想は彼・彼女の体験と一致するのかしないのか……鑑賞後、勝手ながら見ず知らずのあの老夫婦方に、想いを馳せた。

地上波でも上映してほしと思うが、なかなかそうもいかないかもしれない。特に、ラストの凄惨な肉体のシーンはカットされてしまうのだろうか。にしても、小劇場ばかりで上映されるのは勿体無い。もっと語り継がれるほど有名になればいいのに。絵が綺麗すぎやしないか、と思うようなシーンも勿論あるが、それを言ったらきりがない。この映画はそれでも失うに惜しい。今年一番のおすすめ映画。
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