あきらっち

この世界の片隅にのあきらっちのネタバレレビュー・内容・結末

この世界の片隅に(2016年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

拝啓 北條すず様

貴女が生きた昭和は終わり、今、平成という時代に私達は生きています。

あの日の呉、あの日の広島、あの日の日本…

あの日から70年以上が過ぎ、
あの日を知っている者はもう少なくなりました。

あの日を知らない私達は、自分達の祖父母や親の話で、学校の授業で、テレビで、本で、映画で、あの日の事や戦争の事を教えられて来ました。

軍国主義の狂った時代の事、戦争の恐怖、物が無い貧しさ、飢え…

“悲惨な時代”として、当時を一括にした認識に支配されていた気がします。
すずさんや周作さん達に出逢って、薄っぺらだった自分が恥ずかしい。

“悲惨”のヴェールをめくりもせず、そこにある日常や人々に、ちゃんと目を向け見ようとしていなかった。

今を生きる私達からすれば、悲惨であった一面は間違ってはいない事実だと思います。戦中、戦後は特に。

だけど、ただ“悲惨”なだけではなく、そこには今日と変わらず家族や友人、ご近所さん達との毎日の日常、笑いや、恋や、怒り、悲しみ、色んな感情にあふれた“普通”を懸命に生きる生活があった。人々が居た。
当たり前の存在をうやむやにしていた気がします。

悲しい色をしていた先入観を、良い意味でぶっ壊して貰いました。

どんな時代でも流されず、普通の毎日を、普通の想いで、一生懸命生きること。

「過ぎた事 選ばんかった道 みな覚めて終わった夢と変わりやせんな」と周作さんは言いましたね。

昔も今も、毎日は選択肢と決断の連続で、自らの決断すらできぬうちに運命の一部を決められてしまう事だって珍しくはありません。

だけどメソメソなんてしていられない。しっかり前を向いて生きる。貴女達の姿に、大きな大きな勇気を貰いました。

あと何年かすれば、当時を体験した人が皆居なくなり、貴女が生きた時代も、現代を生きる私達にとってみれば、“過ぎた事”であり、“覚めて終わった夢”と変わらなくなる日が来るのかもしれない。

だけどすずさん、きっと大丈夫。

貴女の右手は今何処にあると思いますか?

貴女が亡くした右手は、今この時代、貴女を知った多くの者と共にあります。
貴女には不自由させてごめんなさい。
でもね、私達は貴女や貴女の右手に、言葉に出来ない力をもらっているんです。
それは、これからもずっとずっと。


今を生きる私達の人生は、
誰かの選ばなかった道かもしれないし
誰かの覚めた夢かもしれません。

圧倒的な文明の進化で、物に溢れ飢えはなく、便利になった一方で、満たされることのない心、言い訳ばかりの毎日、そして人々の絆は希薄になりつつある現代。

生きたくても生きられなかった夢の分まで、“この世界の片隅に”誰かが誰かを見つけて、すずさんや周作さんやリンさんや哲さん、そして晴美さん達と共に、“普通”であることを喜びながら生きていきたいと思います。

だからすずさん、周作さんといつまでも末永く幸せでいて下さい。
    敬具

この世界の片隅に生きる全ての名も知れぬ私より。




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