こうん

ハッピーアワーのこうんのレビュー・感想・評価

ハッピーアワー(2015年製作の映画)
4.8
僕はイチ映画フアンとして、洋画も邦画も分け隔てなく観ようと思っているのですけれども、邦画に関してはどうしても大作・話題作には興味がゆかずに作家性の強そうな、どちらかといえば低予算でマイナーで地味な映画に目がいきがちです。
「ビリギャル」とか「バクマン。」とか評判いいみたいだし観たいとは思ったりもするけれど、お金も時間も限りある中で僕は、あんまり世間の耳目を集めないような小粒な映画を積極的に観て褒めたい、そういう心持ちが発生してしまう傾向にあるようです。
地味かもしれないけど日本にも世界レベルの傑作快作佳作がゴロゴロ転がっているんだよ!ということをイチ映画フアンとして体験して訴えたい、ということがあるのです。

そんな中で今年も興味のある邦画がいっぱいあったし、なるべく観るように努めてきました。そして今年最期の邦画だなと決めていたのが本作「ハッピーアワー」だったのです。

その予告編をシアター・イメージ・フォーラムで拝見していたのですけど、その中の、二人の女が歩道橋で「おやすみ」と別れるカット、そしてキャリーバッグを牽いた女がゆっくり動くフェリー上を歩いてゆくカット、これになんとも言えない魅力を感じましてね。河合青葉さんによる味わい深いナレーションも相俟って「この映画はひょっとするとひょっとするんじゃないか?」という予感でびんびんでして。

しかも上映時間が5時間17分という、商業映画にはあるまじきランニングタイムに、挑みたくなる気持ちもムクムクと盛り上がってきて。

前売り券を購入して(SWフィーバーに冒されている中)、密かに楽しみにし、睡眠たっぷりとって水分コントロールも調整し万全の体勢で初日の翌日にイメージ・フォーラムにぶっこんできました。

☞誇張なく「あぁ、エドワード・ヤンが生き返った…」と思いました。
☞なんたる…なんたるショットの強靭さ!その映画的意志!
☞今年一番の“眼”の映画です。

まぁハードルの高い映画ではありますよ。

先述のように上映時間は長いし、著名な俳優さんは出ていないし、オハナシも地味な人間ドラマのようであるし、尺は通常の2、3倍はあるし、興行上の必要から3部構成の上映で各部1,500円(前売り券は3枚綴りで3,600円)…4DXよりも高いです。
結局700円のパンフレットも買ったので4,300円費やしたわけです。
文句を言っているわけじゃないッスよ。

それに今日び約5時間半の映画を観るということは、実際には一日かかってしまうわけですし(僕は9時半過ぎに家を出て10時半から発売の入場券&整理券を購入、遅めの朝ごはんを食べたり本屋をプラプラして時間を潰したりして13時から上映開始…帰ってきたのは20時前でした)、勤め人には休日にしか観られない、という諸々の条件が立ちはだかる映画です。

それから個人的には生業の年末の忙しさや種々のイベントの中(SWFAも3回分チケット購入済ですから)で観るチャンスが限られていて、1日しかなかったわけです。
罪作りな映画ですよ。

そういうことでわりと決死の覚悟で観に行ったらば、もうね、期待をはるかに上回る映画で…この映画に出会えて本当に良かった、心底そう思っています。

観に行ったのは2日目でしたが、このハードルの高い映画を観に来た気合いたっぷりのお客さんでほぼ満席でした。

そして約6時間後、僕は奇妙な満足感を得て劇場を後にしました。
5時間半の映画を一度もダレることなく観きったぞ!という驚き(正直どこかで寝てしまう覚悟をしていた)と充足感があったのは確かだけれど、それを上回る「すごい映画を観たのではないか…」という整理しきれない感動があったのです。

特に第2部の後半くらいになって、ふと、今は亡きエドワード・ヤンの映画を観ているような錯覚を覚え、その画面の中の映画的な豊かさに、隅々まで行き届いた映画的意志の強靭さに感応してポロポロと涙を流してしまったのですよ。
理屈があるわけじゃないですけど、「僕はこの映画を愛せそうだ」と感じたのです。

その僕の確信を、これからたどたどしく整理してゆきたいと思います。

まず、僕はこの映画については上記のような映画スペックと、本作が神戸で催された演技ワークショップの授業が元になって生まれた映画、くらいの前情報しか仕入れておりませんでした。
元々の衝動は違うにせよ、先日観た「恋人たち」に似ているな~くらいの認識です。

それに恥ずかしながら、濱口竜介という映画監督の存在もボンヤリと名前を聞いたことがある、くらいの認識でした。

オハナシは、30歳を過ぎて仲良くなった4人の女性が、友情に似た人間関係のいざこざを経てそれぞれの生き方の中であがき始める…というものです。
単に友情崩壊モノと思っていたら、僕たちの生活にきわめて近い、人生を巡る物語でした。

主題めいたことを登場人物の台詞を借りて記しておくならば、
“進むも地獄、進まぬも地獄…だったら苦しくても前に進むしかない”
ということになりますでしょうか。
超うろ覚えですけど、大意は合っていると思います。

どこを向いて進んでみても行き辛い事この上ない現代での、生きる態度を模索する人々の繊細なドラマなのです。

その上でこの5時間17分の「ハッピーアワー」の特徴を挙げるとすると、ものすごく写実に徹している、ということです。
淡々と、それこそ僕たちが日々過ごす時間の積み重ねのように映画は進んでいって、少なくともストーリーテリングとして映画的に誇張したり象徴化されている箇所が極めて少ない。写実としか言いようがない繊細な手触りで4人の女性とその周囲の人々の蠢きが掬い取られていくのです。

ただひとつ図式的に強調されているのは、フェミニスト目線が強烈な点。
女性4人が主人公という物語設定であることも含め、その4人以外にも登場するすべての女性たちへ誠実なまなざしがあって、それに対して、男たちの描写がことごとく間抜けで卑劣で愚かなんです。
これはもう、男全般に敵意を持っているかのような(笑)意地悪な視線です。
特に、絶望的なまでに話が通じないあるキャラクターの、表情のなさ!というかまばたきをほとんどしない!!
…ほとんどサイコホラー映画の趣で、これはものすごく不気味でした。

4者4様の魅力が自然とドラマを動かしてゆきます。

それにしても主人公4人、あかり、桜子、芙美、純のキャラクターの、とても一言二言では言い表せない、それぞれの魅力の豊かさたるや。

書割的ではない多面的で複雑な春情を抱えたキャラクター造型。
演じた皆さんは演技素人なんだそうで、職業俳優の感情表現の巧さというものはない。ないけれども、演じる彼女たちのパーソナリティや生きる上での実感がその演技に圧倒的な迫力と説得力をもたらしていると思います。
(でも「恋人たち」とは違ったバランスなんです)

特に印象的だったのは、彼女たちの目。
目は言葉より多弁である、なんてことを言いますが、彼女たちの様々な感情を湛えた目の表情が素晴らしかったですね。目と目の交錯や衝突が、「ハッピーアワー」の中で編まれる葛藤劇を構成していると言ってもいいくらいです。観終えた後、彼女たちの数々の眼の表情が思い起こされてきます。

それからこれは個人的な感傷ではありますが、40手前の彼女たちの年齢設定、はたまた濱口監督も78年生まれということで、僕とほぼ同世代なんですね。同じ地域に生まれ育っていたならオナチューということになります。その同じ時代を生きて同じことを感じてきた、という感覚が伝わってきて、とても身近に感じられより映画に没入できた気がします。
30代後半なりの人生で得てきたものや失くした物がそれぞれにあって、それらが無垢で純粋と思われた友情を妨げていくことになってしまう…そして得たもの失くした物が、脆弱で意味のないことに思えてしまう。

正しいことも汚いことも知悉してしまっている彼女たちが選ぶそれぞれの道筋に、僕は動揺と感動を覚えずにはおれませんでした。

喜怒哀楽の感情の隙間にある彼女たちの数々の表情が、時にかわいらしく、時に醜く、時に美しく、本当に本当に素晴らしかったです。
演じた田中幸恵さん、菊池葉月さん、三原麻衣子さん、川村りらさん…彼女たちの演技に心から快哉をあげたいと思います。

とはいえ僕は本作で敵意を持って描かれた男たちのようにきわめてボンクラなので、三原麻衣子さん演じる芙美の「いっぱいサイン出していたのに全然気付いてくれなかった」という台詞に「そうなの?」と戦慄しパンツが脱げそうになりました。
……僕はあんまり本作を理解出来ていないかもしれません(笑)。

その他の演者さんも素晴らしかった。
どの方も絶対にその顔を忘れないくらいに印象的だったのですけど、特に有馬温泉で純が刹那に出会う、三重から来たという滝マニアの女性。
なんとも言えない存在感で、人生の滑稽さや残酷さやその向こうにある愛嬌を、たった数分の出番でこの映画の中に置いてきていて、とても忘れがたい存在です。

そして監督の濱口竜介さん、この素晴らしい映画を撮った監督を知らなかった自分が恥ずかしい!染谷将太さん主演の「不気味なものの肌に触れる」という作品で名前だけは知っていたものの、全くノーチェックでした。すみません。
パンフによると、本作の発想の元がカサヴェテス「ハズバンズ」の女性版をやろうとした、ということで、実は僕も学生時分に同じ発想で知り合いの女優さんと“逆「ハズバンズ」”を企画していたことがあって、すごく親近感を持ちましたね。

それで濱口監督という人は、劇映画を作りながら東北に移り住んで震災後の東北を舞台としたドキュメンタリーを撮っていたというキャリアの方で、それらすべて未見なのでどういう映画的嗜好の映画監督なのかここで語れないのが口惜しいのですが、遅ればせながら「すごい才能だ」と思いました。

本作を作るに当たって神戸に移り住んでいたらしくて(僕が観た上映会の最後に挨拶をなさっていて、翌日に神戸に帰ると仰っていました)、そのフットワークの軽さとともにそこに映画に対する真摯さも窺えて、敬服するばかりです。

そして本作での素晴らしさは、ドキュメンタリーとフィクションの境界に位置するような絶妙なバランスで映画を映画として成立させていることです。

例えばロケセット内で複数キャラクターが感情をぶつけ合うような緊迫したシーンは複数キャメラで撮っていて、どちらかというとドキュメンタリー的な手法で演出されている。はたまた各キャラクターが1人ないし2人でいるような(表面上は)穏やかなシーンは、キッチリとしたフレーミングと明確な段取り演出がなされている。
前者では第1部の「重力」のワークショップがいい例ですが、生々しい即興的な感情の発露が見られ、後者では映画的としか言いようのない構図やカットの積み重ねでジワーッと感情を醸し出していく。

特に僕はロケーションのシーンというか、そのショットの映画的意思といったものに心が震えましたね。ただ人物が歩いているだけなのに、フレーミングやキャメラの動きで映画的な感興を爆発させている。

先述した(予告編にもある)、夜の歩道橋の上であかりと芙美が「おやすみ」と言い合い別れるシーン、この時、二人の間には共有しきれない感情がそれぞれにあって、気まずいまま分かれざるを得ない。足早に去るあかりに「おやすみ」と声をかける芙美、別の方向に歩いていくのですが、その背後に進行方向の違う2本の電車がワッと通過する。

それはつまり芙美の内面に呼応しているわけですが、このタイミングやフレーミング!肌に粟が立ちましたよ。
静かな状態から一気に屹立するエモーション…これが映画だ!と思いましたよ。

こういった演出というか映画的な強靭なショットが全編に横溢していて、そのキャメラが捉える光景の質感や編集の呼吸、僕は思いきりエドワード・ヤンの作品群を想起せずにはおれませんでした。

具体的にどこが似ているのかと問われれば、なんとなくとしか答えられないのですけど…距離感と人物を含めた風景の捉え方と切り取り方ですかね。

そのキャメラ・アイが単なる事象だけじゃなくて“瞬間”を切り取っている感じがするんでよ。
一瞬の光、一瞬の表情。
だけどその“瞬間”の中に膨大な時間の重みを感じさせるというか。どこか大陸的な匂いがするんです。「ヤンヤン 夏の思い出」における日本のシーンとか侯孝賢が日本で撮った「珈琲時光」のような風景の感覚、といえばわかりやすいでしょうかね。
そういったものを濱口監督のキャメラ・アイに感じたわけです。

ま、それはエドワード・ヤンがいないことをいまだに悲しがっている僕の思い込みかもしれませんが、少なくともこの「ハッピーアワー」で捉えられた神戸や有馬温泉の街並みはどれも素晴らしく、濃厚な映画の匂いを発していると思いますよ。

それに間違いなく、先述した歩道橋のシーンに代表されるように、映画として計算された画面設計や演出がなされていて、これは相当なもんだと思います。
そういう丁寧な映画的なショットで構成された中に、即興的なニュアンスを大事にした激しい感情の応酬のシーンがバランスよく配置されていて、この映画全体の感情を際立たせる形で作られていると思います。

その濱口監督の企図する映画意思を具体化させた撮影が抜群にいいと思うし(逆光の使い方なんか超効果的だったと思います)、映画を彩る阿部海太郎さんのピアノも良かった。

濱口監督と野原位さん、高橋知由さんから成るユニット“はたのこうぼう”による脚本も素晴らしかったと思います。とても野郎3人から生み出されたとは思えない(失礼)!
女性の様々な感情の襞が丁寧に織られ、その積み重ねがとても大きなうねりを生み出していて、そしてそれは“時代の感情”とも激しく呼応している。「サウダーヂ」や「恋人たち」のように、登場人物の葛藤の向こうに現代社会が透けて見える、という側面は希薄ですが、現代を生きる人々の息づかいというものが確実に描かれていたし、それを描くのに5時間17分必要だという濃厚さに充ちていたのではないですかね。



人と人が、僕とあなたがわかりあうこと。
わかりあえないこと。
そこから生じる衝突、葛藤、孤独。そんな負の側面を抱えながらも生きていかねばならないし、それでも目の前の親しい人を、愚直なまでにわかりたいと思う。
どんなに困難でも“わかりたい”という人間の根源的な希求が、儚くとも確かにある希望なのだ。

……そういう厳しく優しい眼差しに溢れた映画になっていると思います。
特に僕は、弾かれた彼と、出て行こうとする彼女の触れ合いに、素直に涙しました。

5時間17分(あんまりここを強調するのもどうかと思うけど)、この時間は映画館のスクリーンの前で体験するべき時間だと思います。

この映画のアレコレを思い出すたびにまた観たくなっている自分がいます。多分年末あたりに観に行くんじゃないかという予感でいっぱいです。

ともかく、この映画を観られて幸せでした。

4つのコラムが素晴らしいパンフレットもマスト・バイ!

オススメです!
こうん

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