ナミモト

ハッピーアワーのナミモトのレビュー・感想・評価

ハッピーアワー(2015年製作の映画)
3.7
正直にいうと、同じ30代女性として、本作は、つらいです。

脚本やそれに基づく会話の重厚感はすごいと感じました。だからこそ、その真実味が重くて、つらい。

どうして、突然、女性たちがそんなこと言うのか、その女性たちの解らなさが、解らなさとしてそのままに提示されているように感じて、結局は救いのない、解らないままで、なにも解きほぐされてはいない、と思います。
しかし、なにかを解きほぐす展開や、解られやすい台詞があることが、必ずしも回答とは思いませんが…。
「進んでも地獄、引いても地獄なら、進む地獄を選んだほうがいい」。でも、ずっと地獄の地点で居続ける事に変化はないのですね…。
女性達が、それぞれ、言わないでいた本心を相手に伝えた途端に、破綻する、という…それぞれの地獄なのかな、と。

だからなのか、見ていて、苦しかったです。みんな、わがままだし、それぞれが独善的に感じました。
言葉の暴力に敏感だからこそ、書けてしまうことなのかもしれません。

無意識に使われる言葉に潜む、誰かを糾弾するかもしれない可能性、追い詰めてしまう可能性。そのことを考えました。

幸せな時間が、本作に一番満ちていたと感じられたシーンは、冒頭の重心ワークショップのシーンです。ワークショップの参加者として、各自の匿名性が維持されていて、お互いにお互いのことをまだそれほど知り得ていない、あの、互いにまだ無関係である部分を残した関係性の時。
人と人との関係性が、一瞬一瞬で変化するものであって、この変化を会話で描くのが、凄いところなのですが、これが他人→恋人→夫婦と時を経ていくにしたがって、その一瞬の変化が堆積し続けた関係として、気がつくと、お互いの本心すら本当は解り得ていない、という残酷な事実をまざまざと見てしまう。
でも、本当は、人と人とは、完全にわかり合えることなどできない、たとえそれが、生涯の伴侶や家族であったとしても、というコミュニケーションの不確実さ・完璧なコミュニケーションなど存在しない事実に真摯に向き合い、その機微に正直だからこそ、この展開なのでしょうね。

不完全なコミュニケーションしか出来ない人間の不器用さに対して、考えさせられる作品です。
ナミモト

ナミモト