ベイビー

ハッピーアワーのベイビーのネタバレレビュー・内容・結末

ハッピーアワー(2015年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

主役を演じた四人の女性たちが本当に素晴らしい。

その中の誰かが良かったというのではなく、四人が一緒になって幸せな時間を運んでくれました。約5時間17分という超大作。その時間は微塵も長いと感じさせず、逆に言えば足りないくらい。ずっと彼女らと一緒に居たいと心から思わせてくれた作品です。

今作の概要を少し説明すると、この作品は市民参加による「即興演技ワークショップ in Kobe」から誕生しました。ワークショップの参加に応募した希望者から17名が選ばれ、参加者の3分の2はそれまでに演技をしたことが一度もなかったとのことです。

もちろん主役の四人の女性たちもワークショップの参加者。その演技経験のない人たちがロカルノ国際映画祭で四人同時に最優秀女優賞を獲得したのですから、その結果だけでも彼女らの魅力が充分伝わるのではないでしょうか。


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看護師のあかり、学芸員の芙美、専業主婦の桜子と純。冒頭は麻耶山掬星台へ向かうために麻耶ケーブルに乗る四人組が映し出されます。キービジュアルで使われている写真がそのシーンです。

彼女らは三十代も半ばを過ぎた仲良し四人組。それぞれにはそれなりの仕事があり、家族があり、重ねてきた人生があり、それに伴い蓄積されていった悩みだってあります。

四人で会うのはそんな日常からのほんの息抜きが目的。四人の都合を合わせてスケジュールを決め、日帰りが出来る付近を散策しながら言いたいことを言い合っていました。包み隠さず本音を言い合えるとても仲の良い友達です。

ある日、アートセンターのキュレーターをしている芙美の誘いで、あかりと桜子と純はとあるワークショップに参加します。それは「重心を聞く」という何を目的にしたかも分からないような講習です。

講習を進めるにあたり、内容を説明すべく講師の鵜飼は座っていた椅子を斜めに傾け、ゆさゆさと椅子を動かしながら上手く重心をとり始めます。すると四つ脚のあるのうちの前左の一本の脚だけで器用に椅子を立たせてしまいました。

物には全て重心があります。椅子にも机にも河原に落ちている歪な石にも例外なく重心があります。もちろん人にだって存在します。その重心とは偏りのない均等にバランスのとれた正しい点です。

このワークショップは自分の身体に耳を傾けながら重心を探るのを目的としたものです。その重心を自分の中や他人の中にも見つけ、重心を常に意識しながら、自分の正しい身の置き方や相手との適切な距離感を学ぼうとするものでした。

正中線に聞く
胆のうに聞く
額に聞く

ワークショップのカリキュラムのタイトルです。

正中線とは背中を真っ直ぐ通る線のこと。講師の鵜飼は二人を正体し合うよう対面で立たせ、互いに左右体を揺らしながら二人の正中線をピッタリ重ねようとします。それが二人を結ぶ正しい重心。正中線を正しく結べば言葉を交わすことなく、前後左右どのよう移動しようと目線だけでこの距離感を保つことができます。

また、"胆のうに聞く"とは文字通り相手の腹に耳を当て内臓の音を聴くというもの。キュルキュルと内臓が鳴る恥ずかしい音を他人に聞かせることで、腹を割って全てを曝け出せる人間関係を作ることが目的です。そして"額に聞く"とは、二人で額と額を合わせ、頭の中で描いた言葉をテレパシーで相手に伝えようとするものでした。

それを踏まえ最後は参加者全員で背中合わせで円陣を組んで、座った状態から一斉に立ち上がるという集団チャレンジを試みます。"正中線"で見つけたバランスと、"腹を割る"ような信頼関係と、"テレパシー"を投げ合って意思疎通がしっかりできれば、背中でもたれ合いながらでもバランスとタイミングがしっかりと取れ、正しい姿勢で真っ直ぐ上に立ち上がることができる。というものです。

ワークショップの運営側である芙美はこの講習を外で見守る形で傍観していました。あかりと桜子と純は照れながらもお腹に耳を当てたり、額をくっつけあったり、全てを曝け出すようにワイワイと楽しんでいる様子。この他人と触れ合い自分を曝け出したワークショップを終え、純は最後に「幸せな時間でした」という感想を述べました。

ワークショップ終了後、四人で打ち上げに参加し、運営スタッフと講師である鵜飼とその友人たちとで色んな会話を楽しみます。

それは"胆のうに聞く"というカリキュラムの延長戦のように、自分の腹の中を曝け出すようなぶっちゃけトークが繰り広げられます。過半数以上いる初対面に向けてプライベートを赤裸々に語り、聞き手もそれに対して質問し合う。少しずつ場は和み、打ち解け合い、ワークショップでは見ることが出来なかった皆の素顔の部分も見ることができ、皆でその場を楽しんでいました。

一人の人物がある告白をするまでは…


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この作品は上映時間5時間17分という大作。したがって上映の間に2回のインターバルを挟む3部構成になっています。その第1部の大半はこのワークショップの場面が占めていました。

まるで観ているこちら側もワークショップをリアルタイムで体験しているかのようでした。観ているうちは面白い催しだと思っていたのですが、作品を観終えてみるとこのワークショップの一連がこの物語の土台になっていることが分かります。

この作品を俯瞰で眺めてみると、1部では四人の主人公たちの人物像を探り、2部では彼女らの本音の部分を引き出し、3部では彼女らの心の奥に眠る"自分らしさ"を解放しているように構成が組まれています。

これをワークショップのカリキュラムに当てはめると、1部で四人の"正中線"を探り、2部で彼女らの"肚の中"を探り、3部では彼女らの"本当の姿"が見られます。倫理や常識を振り解いて生まれた"本当の自分らしさ"。そこには"念"を放出するような強い意志が感じられます。

ちなみにこうしてみると、芙美の腹の中が一番分かりづらかったことも頷けます。キュレーターとしてアーティストを尊重する姿勢は、受動的な態度をとるばかりで本音をさらすことはありません。その上、このワークショップを芙美だけが参加しなかった為、彼女だけが自分の正中線を探ることも、他人に自分の腹の中を曝け出すことも出来ていません。ここで芙美も一緒になってワークショップに参加をしていれば、あれ程我慢強くならず、不満を心に溜め込まずに済んだのかも知れません…

正中線に聞く
胆のうに聞く
額に聞く

先に述べたように物語がこの3つで構成されているのなら、この作品の本題は「重心に聞く」ということとなります。四人の重心、四人のバランス。その均等が保たれていた仲良し四人組のうち、もし誰かが居なくなってしまったら… 重心が崩れ、正中線が乱れ、他人との距離感が測れなくなってしまいます…

あるインタビュー記事によると、今作はジョン・カサヴェテス監督作品の「ハズバンズ」という映画をヒントに脚本を書き始めたとのことです。「ハズバンズ」という作品は「4人組がひとりを失い、ほかの3人が精神的な彷徨いを体験する」というお話だそうです。

その構造を上手く利用して「それらがつながって、30代後半の女性たちのなかに抑圧されてしまった感情はどうやったら浮き出てくるのかを考えようとした」ことが、本作の脚本の発端となったみたいです(Wikipediaより)。

その説明とおり、主人公たちの感情の移り変わりが見事に描かれており、ある出来事から受動的だった彼女らの行動が、我儘なくらい能動的な態度へと変貌して行きます。

まるで椅子の一本の脚が折れてしまったように、一人を失くしてしまっては、残りの三人は背中を合わせて支えながら立っていることさえままなりません。その一人が居なくなった喪失感からか、彼女らは本来の自分を探すように自立いて行きます。

正しい重心
正しい私…

それにしても、男たちはいつも気づくのが遅すぎます。彼女らはサインを出し続けているのに、その変化に気づかないまま日常をやり過ごそうとしています。

彼女らが抱えていたのはジリジリと抑圧された火薬。男は女性の我慢に甘えてばかりで、彼女たちがそれに見兼ねて導火線に火を着けたことさえ知る由もありません。

やがて爆発する抑圧された感情。
そして解放された本当の心。
それが本当の幸せの時間。

潜在的な破綻と変化。濱口監督作品によく見られる男の脆さと女の逞しさ。物語が進むにつれて流動する各々の気持ちの重心。そしてそれを繋ぐ言葉の数々…

この5時間以上にも及ぶ物語の中で、何万、何十万、何百万もの言葉が溢れるのですが、その言葉のピースは全て無駄がなく、ジグソーパズルのように言葉の一つ一つがあるべき場所にあるべく言葉として正確に作品の中に収まっています。

その洗練された言葉の数々を自分の中に落とし込んでしっかり伝えようとする主人公を演じた四人の素晴らしい女優陣。ずっと彼女たちを観ていたい。もっと彼女たちに寄り添っていたい…

そんなことを思わせる演技って凄くないですか?
彼女たちにその才能を立ち上がらせた濱口監督の演出力って凄くないですか?

いゃ〜、本当はもっと語りたい。全然語り足りない。まだ半分、いや、十分の一も語りきれてない。でもこのペースで行くとかなり長くなりそうなのでこの辺で辞めにしておきます…

そう言えばこのレビューで500Mark!目となりました。記念すべきレビューを最高の作品で投稿することができて本当に良かったと思います。

これからどこまで続くのでしょう。
これからも素敵な作品と出会えますように…
ベイビー

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