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ハッピーアワーのDのレビュー・感想・評価

ハッピーアワー(2015年製作の映画)
4.4
今後も何回か見直したいですが、初見のメモとして。

濱口竜介の映画はどれも、人を使って何かをやる、のではなく、この人たちがいたらこうなる、を描いているような印象がある。

全然5時間という感じはしなかった。確かに尺は長いが、こんなに要る?ということではなくて、必要かはそもそも考えておらず、削らないでいいところはそのまま残して全部登場人物たちを見知った身近な人のように感じさせるために使っている
生きている人間であると感じさせること自体がいいということではなくて、この映画に関してはそれが効果的である
濱口竜介のやりたいことはおそらくありていに言えば人間讃歌なのだが、ただ「こういうところいいよね」といった限定的な賞賛ではなく、我々が感じていてあまり普段取り上げられない感情、矛盾や疲れのようなものを丁寧に描いてくれ、それを評価などせずに、あくまでも中立的な立場でわかっていますよ、と見せる、それだけなのになぜか人間がきらきらして、観た後の気分が良いということだと思う

疲れた時に観たい映画なので、ブルーレイ買って良かった。

私は濱口竜介の映画が好きだから、人を滑稽に馬鹿にして描くような映画はユーモアとわかっていても好きになれないし、だから濱口竜介の映画が好き


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備忘

「『ハッピーアワー』は5時間ぐらいある映画で、本当に「これ誰が観るんだ?」って思いながら作っていたけれど、自分たちは作ること自体、意義あるものとして作っていた。今ここじゃなくても、誰かがどこかで、いずれ見てくれるだろう、ぐらいの期待で作るわけです。その際に、何を基準にして作っているかというと、自分自身が映画を観たり作ったりしてきた中でできた基準に沿うものを作っているわけです。その基準の中には、観客としての自分の楽しみもあるんですよね。それは見る立場になって考えるわけです。そこを信じて、自分の楽しむものをある程度、観客も楽しむとは期待してます。ただ、やっていることが本当に観客が求めているものなのかどうかは、けっこうわからないで作っている。それを幸いにして映画祭が拾ってくれた。『寝ても覚めても』なんかは、あくまで日本の商業映画として、ある程度自分なりにマーケットの要請に従いながら、持っている基準に沿うものをつくる。すると、カンヌのコンペに選ばれたりしてすごく驚くわけですね。作ってみるとこのように日本以外の場所からもリアクションがあったりするので、そこで世の中にはある程度、自分と基準を共有している人がいるんだな、ということがそこでわかるわけです。そこで、自分の基準をある程度信頼して作って構わないんだ、とも思える。なので、理想論かもしれませんけど、結局は自分自身の基準を磨いていくしかないと思います。他人の基準も聞きながら、ですね。特に時間や距離を超えて現在まで届いているものを見聞きするのはすごくよいことだと思います。いずれ自分自身の基準に即して作っていったら結果的に国際的な標準を超えていた、となるように。」
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