先に書くと、僕はランス・アームストロング擁護派です。
(スポーツにおいてドーピング・ダメ、ゼッタイではありますが)
スポーツ史上最も巧妙なドーピングと言われる、Tour de Franceを7連覇したランス・アームストロングの疑惑を追いかける記者の取材とドーピングの経緯を基に作られた映画。
映画としては、レースシーンの迫力ある映像(特に山岳コースを下るシーン)と、会話劇のようなドーピングを追いかけるシーンに分けられる。
基本的には、事実はある程度公表されていることなので、事実を知っている人には驚きはないが、映像としてみせられると悲しくなる。
意気揚々とヨーロッパに乗り込み、まざまざと実力差をみせつけられ、若くして癌により文字通りの死地をさまよった自転車選手としてのランス・アームストロングの絶望。
それでも勝つことを望んだ上の禁断の方法がドーピングであり、政治的な暗躍だったのではないか。
「勝つためには何でもしてやる」
とよく言われるがここまでやってでも勝ちたいというのが、今でこそ完全に違法だが、実は当時は、違法ではないが不適切@like a 舛添(FromRHYMESTER)だったのではないか。
見抜けても処罰出来なかった、処罰すると影響度が大きすぎた、そして勝ちすぎてしまったばかりに執拗に追求されたのではないか。
そしていつしか勝つことでしか己の存在意義を見いだせなくなっていたのではないかとさえ思う。
それでも、僕の中ではランスアームストロングの功績は、記録としては永久追放だが、記憶はなくならない。
ランスに勝つために、機材やトレーニングなどが飛躍的に向上したと思っている。
ランスの闘う姿を観て勇気や元気をもらった人もたくさんいる。
自転車に乗り始めた人もたくさんいる。
ということで、私はアームストロングの功績を全面的には否定はできないのです。