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COP CAR コップ・カーの346のレビュー・感想・評価

COP CAR コップ・カー(2015年製作の映画)
3.9
展開がまったくみえないこと。
この功罪。

どんなパニックムービーでも、最初に登場人物たちの日常が描かれるのは、緩急をつけるという理由と、観客に登場人物たちの求めるものを提示するためだと思う。

例えば、まず幸せな家庭が描かれて、その家族がやんごとなき理由で離れ離れになるとする。そうすることで、冒頭で観た幸せな光景を取り戻すことがこの映画の結末になると観客は予想する。結末を予想すると、その行く末を逆算して主人公のひとつひとつの行動をまた予想する。製作者側は、その観客が予想した展開を裏切ることもできる。それを繰り返すことで観客の緊張は高まっていき、その予想はいつしか観客の願いとなる。そして、その願いが成就するところを確認するまでは席をたてなくなる。


まぁ、そんな感じでそういうふうに映画は出来ていると思っている。こういう巻き込まれるタイプの映画は特に。
もしくは、描かなくても主人公に目的を語らせてもいいけど。ノッキンオンヘブンズドアみたいに。


でも、この映画は違う。
最初のシーンで少年二人の家出からはじまってるのだ。その時点で少年二人にとっても非日常であるわけで、そこでパトカーを盗むことになるから、もう非日常✕非日常!そして、特に彼らも目的を話すわけでもないから、(自分たちの行動原理を言葉にするほど彼らがまだ大人ではないのもあるから)観客は、展開を予想する手立てを失ってしまう。ましてや主人公が何をしでかすか分からない年頃であるならなおさらだ。

そうして、これでもかと展開を想像させないことですべてが新鮮だし、パトカーを盗んでからというもの、どれだけ穏やかなシーンでも、画面にはずっと緊張感が張り詰めている。だが、そのかわり、鑑賞している自分はどこで映画をやめてもいいかなとも思えた。この功罪。

映画を観るという行為が好きな人には苦じゃないだろうけど、自分みたいに注意力散漫に映画を観てるような人は、最後まで観ていたいと思わせてくれる展開が映画の評価において大事なポイントなんです。
だから、映画館で観れば途中でやめるという選択肢がないぶん、もう少し楽しめただろうけど…。

それでも、この映画は最後まで観るべきだし、最後まで観たことで、痛み、恐怖、願い、勇気、挫折の全ての感情が染み出してくるようなあのラストシーンに引き込まれた。不思議で、力強い映画だった。もしかしたら、新しい時代の映画。何だか寂しくもあるけど。
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