河

私、君、彼、彼女の河のレビュー・感想・評価

私、君、彼、彼女(1974年製作の映画)
4.6
3パートに分かれた映画。攻撃的な映画で見てる間はかなり苦痛な一方で、確実に見て良かったとも思う。体感できてよかったとか記念とかそういう意味ではなく。

1パート目の最後で、主人公がレッドライトストリート(ヨーロッパの風俗街)のような一面がガラス張りになった1階の部屋にいたことがわかる。段々と裸になる時間の増えていく主人公はこのパートでは一方的に見られる側へと回っていく。
次のパートで主人公はトラックの運転手である男を見る側に回る。主人公の一人語りは消えていき、男の一人語りが始まる。そして、主人公に抜かせる男のみをカメラが映す。男を見る主人公の姿がひたすら映される。
最後のパートでは主人公と昔関係性があっただろう女の2人が互いに見る見られるの関係性になり、カメラも2人両方を映す。

ここで見る側にいるのは観客(おそらく男)であるため、段々と観客が主人公を見るように仕向け、それが整った瞬間次は観客が主人公から真っ直ぐ見つめ返される、そして最後は主人公の女性同士のセックスを延々と見せつけられる形になる。そして、この監督特有の、観客がスクリーンに縛り付けられてることを利用した攻撃的な退屈さみたいなものもフルで発揮されているように感じる。特にセックスシーンはこれくらいで終わるだろうと思ってからその数倍の長さで続く。

ひたすら意味のない運動が繰り返される映画となっていて、1パート目では主人公は家具を塗った次の日に違う色に塗り直し、マットレスを上げた次の日にそれを取り消して下げ、自分の心の内を書いた同じ文章を何回も書いてまた消していく。そして、2パート目3パート目で行われる運動も一回きりのもので意味がないものとしておかれる。
ただ、1パート目で何度も書かれては消された文章の中に最後には消されずに残ったものがあり、そして家具の配置が何度も変えられた結果マットレスとこぼれた砂糖のうちの少しが残るように、その意味のない運動を繰り返した先、作られては削り取られる過程の先に何か大切に見えるもの、感触みたいなものが残るような感覚がある。
そして、その何かが残ったような感覚が、これからもう会うことのない女性の家を後にする感覚と重ね合わされて終わる。

この無意味と思える運動の繰り返し、その先に何かが残った感触のみがあるような感覚がかなり肯定的なものに感じられる。そういう意味では非常に美しい映画だと思う。見る側を攻撃すると同時に見られる側を肯定するような感覚。
河