てっちゃん

私、君、彼、彼女のてっちゃんのレビュー・感想・評価

私、君、彼、彼女(1974年製作の映画)
4.2
シャンタル・アケルマン映画祭にて、本作と併せて「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番」を観て、それはそれは衝撃を受けた次第でして、同日にこちらも鑑賞しました。

本作は当時、24歳のアケルマンさん自身が”私”を演じた作品。
「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番」で印象的だった定点カメラ、長回しはこの頃から確立しており、”観察”する独特な作品づくりも健在である。

始めは、私が部屋の中にいる様子をただ撮っている。
マットレスを動かしては寝て、なんか気に食わないからまた動かしては寝てを繰り返し、手紙?ポエム?を書いては床に並べ、お腹が空いたら紙袋に入った粉砂糖をスプーンで掬い取り、ただただ口へ運ぶ。

ついには服も脱ぎ捨てる。
そして"普通"に生活をする。
ふと思い立って、服を着て私は部屋を出る。
もちろんアケルマンさん独特の長回しと角度と距離感で撮っていく。

次は彼が登場する。
この彼の仕事がトラックドライバーであり、そこでの会話も所謂、世間話。
しかし会話の端々や立ち寄るバーでの会話の中に、抑圧された軽視された女性への扱いを感じ取ることができる。
ここで私は彼に"接待"として性処理を行う。

次に私は彼女の自宅へと向かう(元恋人なのか今も関係が続いているのかはわからんかった)。
初めはすぐに帰ってと言われるが、お腹空いたと駄々をこね、サンドウィッチをご馳走になり(本当に甘えている私が愛おしくて堪らんかった)、喉渇いたと言い、ワインをもらい(こういうことができるってことは私が出せる相手であるということかな)、仕舞いには明日には出てってよと条件付きでお泊まりさせてもらえる。

私と彼女は、ベッドで激しく絡み合う。
この絡み合いが素っ頓狂というか、なんかおかしくて、久しぶりに会えた興奮からなのかとも思ったけど、おそらく単純に肉欲・性欲は互いに合致していたのだろうと思った。
つまりはここで我々は素の私を目撃することになる。

そして朝になり、彼女は目覚める。
この彼女といるときの私は実に私でいられる、そんな感がこの朝で感じられた。

ざっくりと本作の内容と感想を書いたけど、これだけの内容でここまでみせる、表現してみせる、人物描写をしっかりと描き切り、かつ面白い。
そんなものすごいことを、さらりと出してくるアケルマンさんの長編デビュー作。

こういう映画もあるんだと気付かせてくれ、映画の見方すら変えてくれたアケルマンさん。
残念ながら、今回の映画祭ではこの2本しか観られなかったが、必ずや他の作品を観る機会があれば、観ようと決心した次第でした。
てっちゃん

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