まぬままおま

私、君、彼、彼女のまぬままおまのネタバレレビュー・内容・結末

私、君、彼、彼女(1974年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

「気持ちを説明する手紙」

手紙に書かれた言葉はショットとして提示されるわけではないから、私が彼女の気持ちに対して何事か語ることも不能のように思える。だから言語化が未遂のしかし言語以上のイメージをただみることしかできない。

部屋に閉じこもり不摂生な生活をする彼女が、突如ヒッチハイクをして女友だちに会いに行く。そして食事を与えられた後に、セックスをする。

印象的なのはヒッチハイクのシーンだ。ここでトラック運転手の男が現れ、彼女を乗せることになる。しかしあるのは会話が弾まない食事シーンであり、男の性欲を処理する動きのみだ。ここで男とは脱ロマンス化した物語しか展開されず、男は性欲処理と等価交換される単なる移動手段にしか過ぎない。男は〈私〉に快楽を与えない。その徹底ぶりが凄まじいし、この主題系は後の作品ー特に『おなかすいた、寒い』ーに引き継がれているように思える。

男は彼女に快楽を与えない。しかし彼女が誰かに快楽を与えているとも思えない。
彼女は女友だちの家にやってくる。彼女は一方的に食べ物を要求する。おかわりも要求する。図々しくて自己中心的だ。だけれど彼女らはセックスをする。私には理解不能なアクションの連鎖だ。しかしそんなものなのかもしれない。愛するとは結局のところ、一方的な快楽の受け渡しであり、愛し合っていると感じられるのはその授受が上手くいっていると錯覚している時だけなのかもしれない。

私たちは二人にはなれない。どこまでいっても独りきり。アケルマンが本作で現前させた二人になるセックスシーンは、理想化された願望だと思う。その願望を胸に秘めて独り生きないといけない。それは寂しいように思えるが、私にはとても心地いい。

追記
『哀れなるものたち』との共通点であるが、彼女が性的欲求を解消するアクションが同じなのは興味深い。この解消については社会学・歴史学的な学問の蓄積があると思うので、とても意義深いアクションではあるが、私が語るには値しない。

蛇足
トラック運転手の男が彼女に性的欲求を解消させて、その後、妻や家族について語りだすのは、男の最も醜悪な姿のように思える。それをドキュメントしたアケルマンはさすがだ。