くま一家

シン・エヴァンゲリオン劇場版のくま一家のレビュー・感想・評価

4.1
初日深夜回に劇場で。かなり入ってました。始まる瞬間、劇場内に緊張感が高まった雰囲気がしたのは気のせいじゃないはず…!

新劇場版はすべて劇場で観ました。『序』が2007年公開なので約14年、TVアニメ版は1995年からなので約25年ですか…。
その時その時代毎の思い出が去来し万感胸に迫るのですが、一言だけ。
「エヴァ、完走おめでとう!」
庵野監督、有難うございました。














以下所感として(ネタバレ込み)。















・庵野総監督のやりたいことをやりきったのでは?超人気メジャー作品の最終回であり、アニメ界きっての謎解きや伏線の回収が期待される答え合わせであり、待望のラスト!だったのですが、それ以上に「超力作!」だったのではないかと感じました。
・エヴァやヴンダーをはじめとするメインのメカバトルはもちろん圧巻!加えて日常風景として何度となく描かれた電車・列車と線路、あるいは壊れ寂れゆく建物、工場、そして繰り返される「日本の」原風景である里山や棚田の描写、そこに併存するSF的なメカや装置の違和感たるや。画面いっぱいから総監督の力一杯が伝わるような作画に感激しました。
・そんな作画によって描かれたものは「生」だったのかなと。生まれること、つながること、声をかわすこと、結ばれること、お互いを知ること、それが生きること。(死を含めて)生のモチーフに溢れた作品だったように感じました。どこか3.11以降を連想させるのも意図的と思います。あれから10年のこのタイミングの公開は決して偶然じゃないはず。
・ストーリーは、もうここにしか帰着できないとしか思えない。これだけ壮大な破壊と生命再構築のラグナロクが、一個人の深い想いの一心から歩みが始まっている。とすれば、それを決着するのは個人の想いの鎮魂でしかない。父子の邂逅の果てに得られた「さよなら」は、彼ら家族にとっての最大の魂の解放だったと感じられました。
・日本のアニメとしての一つの到達点として記録されるべき作品だと思う。どこか宮崎駿的であり、またあまりにも新海誠的とも言える。(「セカイ系」の始祖はエヴァとも言えるので当然といえば当然か。)さらに、言うまでもなく庵野総監督の根底にある、ウルトラマンをはじめとする日本特撮作品の数々へのリスペクトや魂の継承が詰まっているように感じました。それらすべてをアップデートした現在の結実が本作品だと思いました。
・劇伴は最高の一言。エヴァお約束の昭和歌謡(といったら吉田拓郎に怒られそうだが)はもちろんのこと、冒頭のパリ上空のシーンの曲もアクションと相まって胸の高まりしかありませんでした。
主題歌として、宇多田ヒカル。なぜこんなにもマッチするのか。本作の主題歌「One Last Kiss」に続いて、あの曲が。決して満たされることのない願いを切に歌ったこの曲が“(Da Capo Version)”として流れるエンドロールにはもう言葉はいりません。(Da Capoは「はじめから」の音楽記号は、シンエヴァのタイトルについた:||、反復(リピート)記号とのセットです。)
ようやくエヴァサーガの円環がキレイに閉じるのに相応しいラストピースだったと思います。
・声優陣の力演については言葉を持ちません。素晴らしかったです。

「終劇」の二文字がこんなに待たれた作品もなかったし、こんなにもこの二文字が出るまでの時間が惜しい作品もないだろうと感じた。そしてその祈りにも似た期待やドキドキ感に、満額の回答で応えた庵野総監督には、やっぱり「ありがとう」しかないのでした…。

さよなら、すべてのエヴァンゲリオン。



追記として。
・マリの存在について。
新劇場版におけるマリの存在は異質で、多くの違和感が感じられた。特に本作でのエンディングを含むふるまいとその役割に、考えるところが多かった。
シリーズ全体に「けりをつける」本作で、多くの登場人物が、他者からの影響を受けることでその生を全うしてゆく描写が多かったように感じた。「一人で生きるの」「寂しくなんかない」と人形相手に呟いていた(式波)アスカが、ケンスケから精神的な拠り所を得て、ラストでシンジと(惣流)アスカは想いを交歓して昇華する。ゲンドウはシンジとの対話の中で自らの弱さを認め、シンジの中にユイを見いだし、人類補完計画に手づから幕を下ろす。レイ(アヤナミ型)が序盤、委員長や町の人々といった他者との交流で蒙を啓いていく姿が丹念に描かれ印象的だし、カヲルやニアサーに対する自戒の念から他者を拒絶していたシンジは、周囲からの想いを受けてヴンダーへの帰艦を決意する。繰り返しシンジを「幸せにしてみせる」と願っていたカヲル(おそらくゲンドウの合わせ鏡)もまた、シンジの本当の願いと幸せ、そしてその成長を知ることで、自分の役割が果たされたことを悟り退場する。他者からの影響を拒み個の想いのみを走らせていたそれぞれが、本作で他者との関わりの中あうさせた。駅でカヲル(=ゲンドウ)とレイ(=ユイ)が並び立つ姿が本シリーズの結実と言えるだろう。
とすれば、マリは「他者からの影響」を体現する現実的な象徴と言える。非常に近いパーソナルスペース(シンジに対してだけでなくアスカにも近いことが示されている)、時代がかった台詞じみた言い回し、懐メロを口ずさみ、個室いっぱいに本を読むという行動などから伺える、自己以外との関わりやつながりを受け入れる姿が幾度となく示される。シンジの「匂い」に言及するのもマリだけ。より生理に根差した五感としての臭覚の描写は、画一的なネルフ本部(いつもの天井)や理想を求めたゲンドウの人類補完計画と比してはるかに現実的に思える。
他者からの影響と現実の象徴であるマリこそが、エヴァの円環からシンジを救済する存在たりえ、肩を並べて実写の社会へ歩み出すラストシーンが「他者との影響を受け止めよ、この物語は現実と地続きである」というメッセージに感じられた。
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