arin

シン・エヴァンゲリオン劇場版のarinのレビュー・感想・評価

5.0
すべての、庵野秀明チルドレンにありがとう。

これは感想文ではない。いわば感慨文である。これから最期までひたすら感慨を書き連ねていく。

『エヴァ』は今度こそ本当の本当に終わってしまった。
庵野秀明の作風は、アニメファンだけではなく、洋の東西を問わず、多くのファンを魅了してきた。謎めいたストーリー、斬新なカット、意外性のある展開、残酷描写、めくるめくセリフの応酬、興味をそそる宗教・オカルト用語、パロディー、クラシック音楽、昭和の懐メロ、それから一握のエロティシズム。

宮崎駿や押井守、富野由悠季、大友克洋といったアニメの偉大な先人たちの影響のもと、怪獣映画、ウルトラマン、文学、その他実写映画などを栄養分に生み出された『エヴァ」は未曾有のヒットを記録した。
広く人工に會社し、昨今のフィクションであれば、『エヴァ』の匂いを嗅ぎ取ることはさほど難しいことではない。「FATE」にだって新海誠にだって、細田守にだって、たぶん「ラブライブ」にだってあるだろう。そういえば、テレビシリーズ最終話タイトルを引用した恋愛小説が大ヒットを記録したこともあった。海の向こうに目を向ければ「パシフィック・リム」なんて作品もある。

そんな『エヴァ』が1995年のTVシリーズ放映からおよそ26年の時を経てようやく完結を見た。
26年の長きに渡り、エヴァファンは(おおよそ自ら好き好んで)『庵野劇場』に翻弄されてきた。
TVシリーズのラストに混乱し、その後二本の劇場版にますます混乱し、驚喜を持って迎えた新劇場版の内容にまたも混乱し、その間パチスロを打ち続けては銭を失い、UCC缶を飲んでは血糖値をため込み、絶え間なく供給される真希波フィギュアを買うか買わざるか葛藤し、ゲンドウ印の髭剃りで髭剃り負けをしてきた。
8年前の前作『Q』で混乱の極みにあった我々は、ようやく『シン』でこの長かった日々に終止符を打つことができた。狂気の山脈の端っこでエヴァ愛を叫んできたケモノの日々もこれにて幕引きである。

『エヴァ』は繰り返し、繰り返し「大人になることはどういうことか」を説いてきた作品だ。新劇場版でも「ガキシンジ」のフレーズに代表されるように、「大人であることがどういうことか」が論争される。
『シン』作中でも、大人として(文字通り)地に足を付けた仕事に汗を流したり、家庭人としての幸せを学び知ったり、災害の責任のありかについて話し合ったりする。永遠の『アダルトチルドレン』の代表選手として(勝手に)担ぎ出されてきた碇シンジくんにもようやく立ち上がるときが来たのだ。

本当に大人になるためにはどうすべきか? 『エヴァ』がこれまで避けてきたことに、『シン』は立ち向かう。それはある種の感慨ぬきには見られないだろう。それはあまりに人の内面に肉薄しすぎており、いささか恥ずかしく、だが実に人間的な解決方法の提示なのだ。

これまでエヴァに少しでも興味があった人(カスッただけとか、TVシリーズだけとか、パチスロ好きなだけとかでも)は全員見るべきだ。きっとあなたが大好きだったキャラクターたち(主役・端役を問わず)が別れの挨拶に来てくれるはずだ。
(※ただし、前作必見。経年による脳細胞の風化により「なんでこうなってたんだっけ」と想起するのに思考が奪われかねない。私はなった。情報過多の映画は避けたい。予習・復習は必要だ。)

大変長くなった。
最期に、庵野秀明にありがとう。
その伴侶たる安野モヨコにもありがとう。
(※幼い頃『シュガシュガルーン』のキャラクターグッズを持っていたみんなは、今が売りどきとばかりにメルカリに出品したりしないように。大事に取っておくといい)
『エヴァ』に影響を受けた無数のクリエイターたちにありがとう。
アスカとレイのどちらがかわいいか飽くなき論争を繰り広げてきたオタクたちにもありがとう。
「伊吹マヤと結婚する」と言い残しその後消息不明になった旧友のDくんにもありがとう。
そして、実は委員長派だったジブンにもありがとう。
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