パスカル

シン・エヴァンゲリオン劇場版のパスカルのネタバレレビュー・内容・結末

4.7

このレビューはネタバレを含みます

自分をエヴァファンと呼べるほど詳しくなくて、好きだから一応全部観てるレベルであるのを前提として、よかった点と、一言いいたい点、メタ的な観点にわけてかくと、

良かった所
映像がすごすぎて何度も良くわからんけど涙出る、状態になった。こんなものが作れるなんてと衝撃の連続だった。
エヴァが終わるには、それぞれの登場人物が救われる必要があると思っていたのできちんと一人一人丁寧に救ってくれて本当によかった。
そして救い方も良くて、エヴァの登場人物に必要だったのは地に足をつけた生活と、心に余裕のある他者との関わりだったんだと感じた。ネルフ、ビレ、この閉じた組織の中でいくらもがいても心の平穏は訪れなかった。ミサト、シンジ、アスカはそれぞれが自分の事でいっぱいいっぱいで他人を許容できる余地が無かったからお互い傷つけあうことしかできなかった。今作では、トウジ、ケンスケ、村の人たちが適度な距離感で優しく見守ってくれた事がみんなの心を溶かしたのだと思った。
レイがカブをもらうシーンは、安野モヨコさんの大きなカブ(株)と関係あるんじゃないかと思っていて、あのアニメでもそうだったようにカブを植えることは一種の比喩で、みんなで一生懸命働く事、生活していく事でそこが居場所になると伝えていると思った。
エディプスコンプレックスをテーマにした作品は多くあるのでシンジがゲンドウを超えていくシーンに目新しさは無いけれども、やはりシンジには必要な儀式だったと思ったので見れてよかった。



一言言いたい所
ゲンドウについての一連の描写。個人的には不十分だと感じた。
エヴァはゲンドウの気持ちと向き合わないと終われないと思っていたのでそこが描かれていたのは良かったけれど、シンジとの対面だけで、「ユイ、そこにいたのか」だけで万事解決するとは思えない。
ゲンドウは他者と関係を築けない、そもそも築こうと思えない、ここに大きな課題がある。ゲンドウが補完計画を進めたい理由はそこにあるのだから。勿論ユイに会いたいからというのが理由だけど、それはユイ以外の人間と関係を築けないと思い込んでいるからユイに依存している状態と捉えられる。そんなゲンドウが自分の子供の中にユイの面影を見出せただけで全てが解決するのは少し不自然に感じた。シンジは他者と呼ぶには近すぎる、ゲンドウは勿論シンジと決着をつける必要があったけれど、それだけでは足りなくて本当の意味での他者との関係を現実で築く必要があったと思う。それを描写するには、他人であり、常にそばにいてくれた冬月先生と自分自身の関係について見直し、気づきを得るシーンが必要だったのではないだろうか。それから、幼少期の説明シーンで、他者と関係を築けない人間になった原因がはっきり示されていない、それも不十分だと思った。



メタ的な事
特撮大好きな庵野さんが「シンジくんの心の中だから」という建前で思いっきり特撮の再現してるのは観ていてクスリと笑ってしまった。
グレンラガンやトップをねらえ!などが好きな身としては、やっぱりエヴァも最後は宇宙行くんだ、と思ってめちゃめちゃ感動した。庵野さんのルーツが込められていると感じたし、ミサトさんの槍の、想いが物理的に形になって現状を突破していく、というのも庵野さんの過去作との繋がりを感じて胸が熱くなった。
あとさすがに電車好きすぎでは?と何回も思った。ついには図書館にしてしまってるのは笑った。
監督不行届の最後の庵野さんのインタビュー、エヴァで自分が最後までできなかったこととして、現実に対処して他人の中で生きていくための作品をつくることだと言ってたけれど、今回それが出来たのでは無いかと思った。





レイ大好きなので、「これが、カワイイ」と言ったシーンでそんなレイちゃんが1番可愛いよぉぉぉーー!と心の中で泣き叫びました。
パスカル

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