てんびん

シン・エヴァンゲリオン劇場版のてんびんのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

1 はじめに
  この感想は非常に長くなると思う。その上、ただのファンによる何の根拠もない自分語りになる。しかも書き方もまとまりがなくムチャクチャ。もちろん読む必要はない。

2 結論
  シン・エヴァンゲリオンは告別式である。

3 僕と旧エヴァ(TVシリーズ+旧劇)
(1)シン・エヴァンゲリオンはエヴァンゲリオンの最終作である。それについて語るには今までのシリーズについても触れる必要がある。
  特にこのエヴァという作品について語るときは、自分とエヴァとの関係や向き合い方について説明しなければいけない。そのためどうしても自分語りが多くなってしまう点はご容赦願いたい。

(2)僕はいわゆるリアル世代だ。地方民なのでTV放送が遅かったのだが、風の噂で「エヴァンゲリオンというアニメがすごいらしい」と聞こえてきた。「なら見てみるか」と軽い気持ちで見始め・・・
  当時の僕が受けた衝撃は説明しなくてもいいだろう。訳が分からなかった。でも考えれば分かることもあった。いや分かった気になっただけか?この絶妙なバランスにハマりにハマった。
  当時14歳の僕はシンジくんとシンクロし、大いに悩み苦しんだ。普通のアニメだったら「頑張れ」「他に悪いやつがいる」「お前は悪くない」と言うところを、エヴァは「お前が悪い」「お前が悪い」「お前が悪い」と言ってくる。
  元々内省的なところがある僕は「そうだ、僕が悪いんだ。このアニメは本当のことを言ってくれる」と思ってしまった。
  そしてドンドン気分が沈んでいったところにATフィールドと人類補完計画である。

(3)ATフィールドは心の細胞膜。自分と他者の精神的な断絶を視覚的に表現したもの。自分と他者は絶対に分かり合えない異物であり、お互いに傷つけ合う存在であるとした。
  当時の自分は思春期特有の潔癖症を拗らせており、精神的にも極端な考えを持っていた。そんなときにATフィールドの話はよく効いた。
  「他人のための行動」なんて言っても、結局はその行動によって「実利を得るため」「周囲からの評価を高めるため」「自分が満足するため」でしかない。どれだけ利他的な行動に見えても、利己的な動機から逃れることは出来ない。
  比率の問題でしかない。1%でも我欲が混ざれば善ではなく偽善だ。なら100%利他的な行動はあり得るのか考えてみたけど、何も思いつかなかった。一番近いと思ったものは親の愛情だったけど、それすらも本能に基いた感情だった。
  つまり周囲の人たちが自分のために何かしてくれても、それは全て偽善に過ぎない。自分もそうだ。結局誰も彼も自分のためにしか生きることは出来ないんだと絶望した。そしてその全ての苦しみは自分と他者が分かれていることに起因する。
  心の壁を取り払い、一つの大きな個になれば争いも憎しみも悲しみもなくなる。それが人類補完計画。

(4)人類補完計画
  正直言うと旧劇の具体的な記憶は薄れつつあるのでふわっとした書き方になる。確かシンジくんは人類補完計画の発動中に「やっぱり他者が欲しい」と考えて中断された、と思う。
「自分が存在するには他者と、その境界であるATフィールドが必要。たとえまた傷付け合うことになっても構わない」と決心して、その結果他者(アスカ)に「気持ち悪い」と拒絶されて終劇。
  見終わったとき、「全員が同じになったら何も生まれない。死と同じ。生きるとは衝突して変化していくこと」「どんなに人と分かり合えるような空想しても現実ではそうはいかない。それでも現実で生きていくしかない」大体こんな感じのことを受け取った。全て理解出来た訳でもないけどそれなりに納得して見終わった。

4 僕と新エヴァ
(1)序
   ラミエルかっけーーー!!!
   ヤシマ作戦かっけーーー!!!
   綾波可愛い!!!

(2)破
   マリって誰だよ式波って何だよ!
   あれ?なんか色々いい感じに進んでる?
   ここでサードインパクト起きるの!?
   カヲルくんが阻止した!

(3)Q
   14年後!?
   サードインパクト起きとるやんけ!
   シンジくん可愛そう・・・。

(4)シン・エヴァンゲリオン
   a 第三村の描写について
   (a)シンジくん
     Qで散々酷い目にあって旧エヴァ終盤みたいな状態になったシンジくん。旧エヴァでは現実世界で立ち直ることが出来ずにサードインパクトを引き起こし、それも半端で終わった。
     今作では旧友や綾波(そっくりさん)の優しさに触れて徐々に回復していく。ニアサーを引き起こし、エヴァにも乗れず、何もしない自分に何故優しくするのかと聞くと「好きだから」。
     ゴチャゴチャした理由なんてない、ただ素朴な好意こそシンジくんが欲していたものだったのかな。
     その後はケンスケの手伝いをしていく内にみるみる元気を取り戻していく。「釣りなんてしたことないから出来ない」というシンジくんにケンスケは「まずやってみれば」促す。
     人間の精神は肉体に多いに影響を受ける。何もせずにじっとしていると、外部からの刺激が少ないためどんどん内省的になり苦しむことになる。ケンスケを手伝って体を動かすという単純なことが何よりの救いとなった。使徒と戦ったときには実感し難かった社会との関わり。
     地に足がついた生活がシンジくんには合ってる。エヴァパイロットなんて本当に柄じゃない子だなって思う。最後は自分の行動の責任を取るため父に挑む。

   (b)そっくりさん
     綾波レイは「非現実的」「ミステリアス」「浮世離れ」「空想上のキャラクター」「生活感がない」「アニメキャラ」「可愛い」、そんな感じのキャラだ。特に最後のは異論ないはず。
     そんな綾波レイのそっくりさんは、第三村で家族や農業という人の営みに触れてどんどん人間的になっていく。プラグスーツの上に半纏羽織るの可愛すぎだろ。
     Qではネルフ跡地に設置されたテントで寝起きし、命令以外の事は一切しないという旧でも見ない程の非人間的だった娘が・・・。初期ロットだからなのか。
     常にプラグスーツを身に着け、風呂に入るときも脱ごうとしなかったそっくりさんが農業で汗をかき、スーツを脱いでおばさん達と風呂に入るんですよ?みんな嬉しくなったよね。無感情無表情な綾波レイが好きだった僕が変わったもんだ。
     そっくりさんはクローンであり、破の綾波ではない。ネルフではQのような人格で、第三村ではそっくりさんの人格になる。破のような状況なら破の綾波のような人格になったかもしれない。人は環境に影響を受ける。でも全く同じ環境はない。
     だから綾波は綾波であり、同時に別人のそっくりさんでもある。可愛い。
     最後、どんなに人間性を持ったとしても綾波は非現実の存在であるのでネルフでしか生きられず、第三村で暮らすことは出来ない。もっと一緒にいたかった。
    
   (c)アスカ
     アスカは戦う人なのでずっと戦闘シュミレーションして備えてるし、口ではボロクソ言いながらもシンジくんのこと気にかけてる。
     ケンケンって呼び方はどうなの。

   b マイナス宇宙の描写について
  (a)シンジくん
    カヲルくんが言っていたように、イマジナリーではなくリアリティの中で救われているので強い。第三村での体験からか、自分だけでなく他者を思いやる心を身に着けている。

  (b)ゲンドウ
    最後の最後で主役を張るのがゲンドウだったとは。旧エヴァでは腹の底が見えない人物だったけど、月日が経った今、視聴者側の変化もあって一気に身近な存在になった。
    不規則で複雑な人間関係が苦手で孤立していった学生時代に碇ユイに合ったらそうなるよね。人類にとっては迷惑極まりないけど、心から憎みきれない。情けない奴。
    自分の子供も苦手でどう接すればいいのか分からない。自分のような男と関わったら悪影響を与えるのではないか?だから遠ざけた。分かるよゲンドウくん、その気持ち分かる。
    ただもう一度会いたいという思いで突っ走っていたゲンドウが、目を背けていた自分の子供に求めていたユイの存在を見る。正直言うとここで泣いた。ちょっとクラナドを思い出す。
    
  (c)アスカ 
    「昔はあんたのことが好きだったと思う。でも私の方が先に大人になっちゃった」ここ、同窓会で会う大人になった同級生と、相変わらず子供みたいな自分のことのようで辛い。 
    ケンケン呼びはどうかと思う。

  c ラストシーン
    綾波とカヲルくんは非現実同士なので、そうなるよねって感じ。勘のいい人なら気付いているかもしれないけど、僕は実は綾波派です。でもだからってシンジくんとくっついて欲しいわけではない。ましてや僕自身なんて論外。
    ただキャラクターとして好きなだけ。未だに好きなだけ。


  d その他諸々雑感
  (a)肉体と精神について
    肉体と精神は不可分であり別々のものではない。精神的に参れば肉体にも悪影響を及ぼすし、その逆も然り。当たり前のことだけど改めて思う。僕は肉体的に決して優れておらず、運動が大の苦手だった。自分の体が嫌いで精神だけ抜け出してしまいたかった。悪いのは肉体だけで精神は悪くないと思い込みたかった。
    色々端折るけど色んな本や経験から、その精神や思考は肉体依存のものに過ぎないと知った。所詮人間も動物よ。どんなに目を背けようとしても逃れられない。どんなにへそを曲げたシンジくんでもレーション(2400キロカロリー)に手を伸ばしてしまう。
    体を動かすことは心を動かすこと。筋トレやサイクリング等の趣味が増え、気持ちもどんどん上向いていった実体験からそう思う。

  (b)人類補完計画の対としての第三村
    矛盾なく完成された個を目指す人類補完計画、シンメトリーで無機的なネルフ。それに対しての雑多で生活感溢れる第三村。家族のためにお天道様に顔向けができないこともしたトウジ。いい人だけど相容れない価値観を持つ委員長の父親。泥に塗れた農作業。
    観念だけで想像した世界と実世界。ゲンドウが目指した世界と苦手な世界。
     
5 終わりに 
   エヴァの呪縛について
   エヴァの呪縛は人それぞれ違うと思う。僕の場合は3で書いたようなATフィールドについての呪縛だった。思春期特有の潔癖さと結びついたこの呪いはなかなか強固で尾を引いた。この呪いが一気に解けることはなかったものの、思春期が終わり日々の生活の中で徐々に弱まっていった。
   劇的なことは何もなく、ただ知人や友人、家族と話したり、他の作品に触れたりする内に次第に霧散していった。いつの間にか「100%の善はない?自分のためで何が悪いんだろ?他人のためになって自分のためにもなるなら一石二鳥じゃん」「逆に『これ100%の善意だから!我欲は一切ないから受け取って!』なんてやられても嫌だ。あなたが喜ばないと自分も喜べない」、自然とこう考えるようになっていた。シンジくんとカヲルくんが話していた「双方向性の幸せ」ってやつです。シンジくんが幸せになるとカヲルくんも嬉しい。だからカヲルくんはシンジくんを幸せにしたいし、シンジくんだってそう。
   「シン・エヴァンゲリオンを見て呪縛から開放された」っていう感想が多く見られるけど、この作品を見て「目から鱗が落ちた」「目が覚めた」って人はいないんじゃないかな。少なくとも僕は既にエヴァの呪縛から開放されていた。シンジくんと同じように「リアリティの中で救われていたからイマジナリーでの救済は必要ない」。
   ただ、一つの儀礼的な行為として、けじめとしてエヴァンゲリオンという作品を最後まで見終えて幕引きとした。だから葬式だとか告別式だとかいう表現がしっくりくるんじゃないかな。だからこそ「さらば、全てのエヴァンゲリオン」なんだろう。
   この作品は僕の思春期を拗らせた。でも見て良かったと思う。拗れた結果、今の僕がいる。他人から見れば大した人間じゃないと思うけど、僕は今の自分がそれなりに好きだ。エヴァンゲリオンに出会えて良かったと思う。   

     
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