さようなら。
全てのエヴァンゲリオン。
四半世紀に渡り、僕の心も、多くのアニメファンの心も掻き乱して無茶苦茶にしてきたエヴァンゲリオンが終わった。
実は最初に観た時、何か引っ掛かるものがあって、諸手を挙げてお別れを言う事が出来なかった。
それは、この26年で自分が大人になってしまったから。
庵野秀明はどんな風にエヴァを終わらせるのか。あのシーンはああだ。このシーンはこうだ。自分がどこの立場に立っているんだか、高見から観ている様だった。そして、碇ゲンドウの心情の吐露を許せなかった。
愛する妻を亡くし、残された子供と向き合えないでいる意気地なし。ふざけんなよ。こっちだって、この26年必死で生きて来て、それなりに辛い目にも遭ってきた。全部乗り越えてやって来た。ゴルゴダ・オブジェクトだ、アディショナル・インパクトだと世迷言を言うゲンドウに吐き気がした。
でも、碇ゲンドウは庵野監督だった。
碇シンジは庵野監督だった。
これは、彼そのものを吐き出した作品だった。
2回目の追いエヴァ。
素直に作品を観ようと心掛けて再鑑賞。
そこで、ようやく憎っくき碇ゲンドウも受け入れられた様な気がした。
いいから、口の前に手を動かせ。
ダメって言うな!
無理って言うな!
弱音を吐くな!
チッ、これだから若い男は…。
冒頭の伊吹マヤの台詞が好き。
彼女の仕事ぶりに26年の成長が垣間見えた。
僕が仕事をしている時のブラインドタッチは、負けないぐらいに速いつもり。
コア化したユーロネルフを復旧させる為の冒頭シーン。暴れ回るマリの姿に歓喜。
にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃーーーー!!
好きだ。
好きです。
真紅に染まった、壊れかけの世界を歩く3人の少年少女。ただならぬ物語の幕開けを予感させ、これが単なるアニメーション作品ではない風格に満ちたアバンタイトルが、胸を打つ。
第3村。
それは、僕らが予想だにしなかった前時代的でノスタルジックな風景。それを僕は新しいと思った。胸が躍った。エヴァで、田植えのシーンが観れるとは思わなかった。想定外の展開で、前半パートは思いの外お気に入り。
トウジ、ケンスケ、委員長。
皆んな生きていて、良かった。
「Q」で、トウジの名前が縫い付けられた開襟シャツを見ていたから…。てっきり…。
シリーズ中、最もディープに殻に篭るシンジくん。初体験の出来事一つ一つを吸収していく(仮称)アヤナミレイ。ガキシンジに容赦ない精神年齢28歳のアスカ姐さん。
髪は伸びるが、それ以外の肉体的変化が見られない、運命を定められた子供達。もはや食べる事も寝る事も、ない。
エヴァの呪縛は更に重くのし掛かった。
そして、来ました。
怒涛の後半パート。
相変わらず、理解が追いつかない、この展開。
んだよ、マイナス宇宙って!?
僕は、僕の落とし前をつけたい。
吹っ切れた様に父と対峙する事に躊躇しないシンジくん。そうか。君も大人になったのか。
シンジとの過去の感情を素直に吐き出せたアスカ。
碇ゲンドウに銃口を突き付けたリツコさん。
加持リョウジへの想いを胸に、シンジに笑顔を見せたミサトさん。
亡き妻ユイの面影はすぐそこにあった事に気付き、息子とようやく向き合えたゲンドウ。
皆んなが皆んな、これまでの過去にケジメを着けていく。
シンジくんが望んだのは、エヴァに乗らないでいい世界。エヴァのない世界。
さぁ、僕らもエヴァとお別れを言う時だ。
初見では、ぽっと出のキャラなのに最後はシンジの手を引くマリの存在をどう受け止めるべきかに苦慮したが、そうか、彼女は庵野監督の妻、安野モヨコのメタファーか。
このレビューを書く前に、録画しておいた庵野監督のドキュメンタリーを観た。
9ヶ月やって、ゼロからやり直し。
かの宮崎駿は語る。
庵野は血を流しながら映画を作る、と。
自分の命より、作品。
徹底された作品至上主義。
自分と命と作品を天秤に掛けたら、作品。
庵野の終わらせるという気迫が胸を締め付ける。
結果、彼は終わらせた。
エヴァのない世界で、少し大人びたシンジくんはマリに手を取られ、駆け出していく。
何気ない日常の中を。
そして、少年は神話になった。
おはよう。
ありがとう。
おやすみ。
さよなら。