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シン・エヴァンゲリオン劇場版のnamikiriのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

シン・エヴァンゲリオンは、アニメ好きの僕が普通のアニメが観られなくなるくらい、頭の中でずっとリフレインしている特別な作品です。

僕は、ノベルゲームのループものが好きなのですが、それに例えるなら、TV版が綾波ノーマルエンド、旧劇がアスカバッドエンド、そしてシン(真)=Trueエンドです。サブタイトル THRICE UPON A TIME もそのように、解釈しています。

TV版の最終回「世界の中心でアイを叫んだけもの」の時は、Iつまり自分とは何かという事が中心テーマだったのに対して、シンは本当にどストレートなセカイ系でしたが、愛とは何かとIとは何かの両方を、父と息子の対話の中で止揚していく過程が物語としての中心、そして世界の中心と言い換えてもいいと思います。

父は息子の中にユイの面影を見つけられたこと、息子は父が自分と本質的には同じ種類の人間だと分かったことで、両者が苦しみから解放されていくところに物語の結末を見たという納得感がありました。

そこから、ゲンドウからシンジに、世界の運命が託され、シンジが望む世界に作り変えていく描写は、補完計画に名前負けしない壮大な描写だったと思います。

TV版の25,26話は、賛否が別れていましたが、人が抱える苦しみを深く掘り下げていたこと、当時NHKでやっていた青春アドベンチャーの朗読劇のような事をアニメでやってしまう斬新さが、僕はすごく好きでした。

今回、世界線は異なりますが、映像化不可能だと思われていたそのTV版の25,26話を映像化できたことと、既存の設定の制約がある中でテーマを描き切れて、さらに想像を超えてきたことに僕は感激が止まりませんでした。

シンジが望んだものは、完全で理想的な世界ではなく、平凡で時に理不尽で悲しみもあるけれど、喜びも幸せもある日常に回帰するという、育ての親となったミサトさんの遺志を継ぐものでした。

そこから、電車のシーン、実写のシーンで徐々に物語の世界から日常に切り替わっていって、ああ、僕らの住んでいる日常っていうのは、捉え方次第でBeautiful Worldになるものなんだという作品からのメッセージを受け取った気がします。

エンディングの2曲の選曲やつなぎ、歌詞のテーマ性とのリンクも素晴らしく。

One last kissは、このシンの主人公のゲンドウの不器用で純粋で、そして、どうしようもない喪失感が目に浮かぶようです。また、どこか宇多田さん本人の波乱な人生を表現しているようにも見えて、涙腺が緩んでしまいました。

Beautiful Worldは、人間とは寂しさゆえに愛を求めるものであるということと、現実や人との関係をどう捉えるかで、灰色にもカラフルにもなるという、TV版のIとシンの愛をつなぐテーマそのもので、最後に主題を再現して物語を終える:||という演出意図だったと感じました。

劇中で、「アスカの事好きだったよ」と過去形で語ったシンジの言葉に、ああ物語は終わるんだなという事。終わりは次の始まりでもある事が感じられた事。少年が大人に成長していく事が感じられて、物語の中でも特に好きなセリフでした。
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