かなり悪いオヤジ

アンナの出会いのかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

アンナの出会い(1978年製作の映画)
3.5
近年フェミニスト映画監督として再評価が進んでいる女流ユダヤ人映画監督シャンタル・アケルマン。その分身であろう主人公の映画監督アンナ(オーロール・クレマン)が旅先のホテルでカーテンを全開にする横移動カメラのショットが、トッド・フィールド監督『TAR』でオマージュとして使われていた。芸術にその身を捧げる者がいかに孤独であるかを暗示した非常に趣深いシーンである。

同じく映画監督を主人公にした作品が非常に多い韓国人ホン・サンスなんかだと、映画スタッフに囲まれてひたすらカンペ~🍺を繰り返すシーンが多いので、現場は和気藹々と結構楽しそうに思えるのだが、この映画の主人公アンナは、まるで孤独が肌の奥まで浸透したような強ばった表情が印象的だ。自作の映画プロモーションのため、ヨーロッパ各地を訪れて一人ホテルに宿泊するボッチシーンが続いていく。

日本の都会のようにきらびやかな照明やネオンがほとんど見当たらない、移動のための列車やタクシーの車窓から眺める寂しげな夜の駅ホームや街並みが、深い深いアンナの孤独にさらなる拍車をかけるのである。アケルマンの映画を見る前は、どうせ今流行りのフェミニズム映画監督なんだろっと勝手に決めつけていたのだが、まったくの見当違いだったことに今更ながら気がついたのである。

ひたすら無機質に撮られた左右シンメトリーの構図は、不思議なことにウェス・アンダーソンのそれとは正反対の効果をもたらしている。デッドパンな役者の表情や極端に少ない台詞は、アキ・カウリスマキからコメディを抜き去ってさらにドン暗くしたような印象さえ与えている。自殺願望がある人には絶対に見せない方がいいシーンが延々とつなげられているのだ。

妻が移民のトルコ人とくっついて家族を捨ててしまったドイツ人小学校教諭、アンナに息子と所帯をもって子供を作ることを望んでいる母親の友人。列車の中で知り合った孤独なドイツ人男は、気持ちが離れていくに従い発音の間違いを正してくれなくなったフランス人彼女の話をし、故郷ブリュッセルで久々に再会した母親に、ホテルのベッドの中でアンナは(孤独のあまり)その気もないのにレズ行為に走ったことを語り出す....

なんて絶望的で救いのない孤独なのでしょうか。ボッチ大好きな私ですら、タイタン号?のように気持ちがドーンと下がったまま浮上してこない錯覚に襲われたほど。発熱した愛人からホテルの部屋を追い出され自室に戻ったアンナは、麻痺しきった空虚な表情で、留守電に残されたメッセージに耳を傾ける。もう涙さえ干からびてしまったアンナははたしてどんな映画を撮ったのだろうか。2015年うつ病を患っていたアケルマンはこの世を去る。興行不振を苦にした自殺ともいわれている。