まぬままおま

アンナの出会いのまぬままおまのネタバレレビュー・内容・結末

アンナの出会い(1978年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

シャンタル・アケルマン監督作品。

シンメトリーな構図が印象的な世界を移動するアンナ。
彼女がなぜ移動するのかと言えば、その場に留まれないからであり、孤独を抱えた人物なのである。

彼女は移動する列車や車などで他者と出会い話すから孤独ではないように思える。しかしアンナに関わる他者は、果たして彼女にまなざしを向けて、内なる声に耳を傾けているのだろうか。していない。当たり障りのない会話やセックスの道具にしかみていない。それは彼女が他者からケアされておらず、ホテルに残されたネクタイの如く、不在であることに関心を向けられない存在であることをも意味してしまっている。

アンナはセックスしそうになった男の体調が急変し看病することになる。もしかしたら彼が死んでしまうかもしれないから、彼女はタクシーを飛ばし薬を手に入れる。薬を男の背に塗りたくる。どうか死なないように、緊密に触れる。しかし彼女は触れている途中に気づいてしまうのだ。どんなに触れあっても彼女がケアされることはなく、孤独であり続けることに。
孤独は肌の触れあいでは埋められない。それが母との抱擁やセックスであっても。

彼女が唯一その場に留まるのは、電話の時だけである。電話とは移動が不要なコミュニケーションで、受話器を耳に当てれば「直接声が聞こえる」。だが同じ空間にはいない。彼女の存在をみる人は誰もいない。これこそ最も孤独な姿なのかもしれないし、アンナはひとりベットで留守電を聞くことしかできない。

そんな孤独な姿を映し出す映画。するとカメラという意識でアンナへの関心を留めた映画だけが、彼女にケアを差し出す他者なのかもしれない。