もしスマホというDEVICE(機器)を、一見何の変哲もない黒い球に置き換えてみたらどうなるだろうか。そしてもしその黒い球が宇宙人のDEVICE(計画)のためのDEVICE(手段)として用いられているものだとしたら・・・
最初に姉(妻)が妹を待っているときに横でスマホをイジイジしてる夫(婚約者)が映し出されている。
折角の休日にも仕事だからとイジイジイジイジ・・・
しかし黒い球を持ち帰ってからはひたすらに黒い球をイジイジしている画に変わっている。
比較対象が少なすぎるので取っ付きにくいのだが、言わんとしていることは「セル」(2016)と同じようなスマホ依存やスマホゾンビへの警鐘なのだろう。例えば、夫が手にしている物がスマホから黒い球へと変化したことで何か変わったか? あるいは妻の電話している画と夫の黒い球への独り言とで何か違いがあったか? といったところでスマホという媒体と黒い球が通ずるか。スマホ依存及びスマホゾンビと夫(婚約者)の行いが通ずるか。これが肝だと思う。