藍住

神様の思し召しの藍住のネタバレレビュー・内容・結末

神様の思し召し(2015年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

息子が医者じゃなくて神父になる!と告白してから家族が大騒ぎ!
息子の改心の原因をたどると前科持ちの神父にたどり着くというなんとも盛り沢山な設定にめちゃくちゃ笑ってしまった。
大騒ぎして喧嘩しまくる家族とのやりとりで飛び交うイタリア語がなんとも心地よい。

トンマーゾは性格にちょっと難点があり、ピエトロ神父に嘘ついて近づくものの、色々あって交流していくという展開のスムーズさに舌を巻く。
こんなに盛り沢山な設定をどうしてこんなにコンパクトに、しかも面白くまとめ上げることができるのだろう?
ピエトロ神父のラフさが敷居を低くしているのもあるし、距離も近くて、こういう神父が居たら毎日協会に通ってしまうな〜なんて思ったりした。
イけてるおじさんが二人で教会を直したり、スクーターを2ケツしたり、肩を並べてランチしたりして、そこがめちゃくちゃ素敵だな、と思った、

息子が何かを言いたそうにしている!と勘付いて、トンマーゾが家族に「彼はこれからゲイと告白するかもしれないが……」と前置きする所が結構良かった。
ゲイとカミングアウトされても、驚くんじゃない。
むしろ愛は素晴らしいんだぞ!と力説する父親が、息子がゲイとカミングアウトするのではなく、神父になりたいと言ったことが受け入れられなくて奔走する姿があべこべで、おかしかった。

ラスト、ピエトロ神父の安否が確認できないまま終わる。
解釈を丸投げなので、多分もやっとする人はするだろう。
だが、私はハッピーエンドだと受け取った。

タイトルの『God willing』は簡単に言うと「神様のお考え、ご意向」という意味になる。
以前トンマーゾとピエトロ神父が神様はいるのか?と話し合いをしていたシーンがあったが、風が顔に当たるのは神がやることだから、梨が落ちるのも神がやったことという結論を出す。
そしてクライマックスに地面に落ちる梨。
いい笑顔で草原を歩いていくトンマーゾのラストカット。
これらを踏まえてピエトロ神父が死んでしまったとは思えなかった。

ラストシーンの少し前にトンマーゾがピエトロ神父が再び使おうとしていた教会を掃除しに行くシーンが挿入されているところに私は「おっ」となった。
ピエトロ神父が重体で手術することになった時、トンマーゾは執刀しない。
それどころか、トンマーゾは後輩に任せて病院を後にし、教会を掃除するのである。
イエスの絵が見ている目の前で。
あれだけ「人を救うのは神ではなく医者だ!」と言い張っていたトンマーゾが敢えて執刀すると申し出もせずに、教会の掃除を優先したのがラストシーンの解釈への鍵になるのではないだろうか。

もっと言うと、あの結末は「これ以上映す必要がない」という意味合いのような気もする。
もう一度観たらまた色々拾えるかもしれないので、またじっくり考察したいです。
藍住

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