ーcoyolyー

提報者 ES細胞捏造事件のーcoyolyーのレビュー・感想・評価

提報者 ES細胞捏造事件(2014年製作の映画)
3.8
アメリカの中絶の問題もそうだけど、卵子のことを卵子を持ち得ない人々主導で決められるグロテスクさってもっと語られるべきだし問題にされるべきだとも思うんですよね。そこについては要検討ではあるかなと思いました。これは映画というより社会の意識がまだそこまで追いついてないという記録ではある。

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ジャーナリストであることに必要な資格ってなんだと思います?
私は人を信じることを諦めないこと、どんな状況でも希望を捨てないことだと思うんです。
だからジャーナリズムにもう私の居場所はないな、と痛感しましたし彼らを羨ましくも思いました。

私は最後の希望を託した人たちに裏切られてもう誰かを信じたり希望を持つことができなくなってしまった。そしてその私の最後の望みを断ち切った人がこういう感じのお話の作り手として今現在評価されていることも知っています。

社会の巨悪にはこういう物語を作って語って立ち向かえても身近な、自分の行動で誰かを救えるかもしれない、という距離になると怖気付くのかその場の小さく醜悪な権力者の行動を嗜めることなく見てみぬふりをして馴れ合っちゃってんの。そしてその行為でその権力者に傷つけられた人やその人たちの側に立つ人間を踏み躙りさらに傷つけてんの。無責任な政権批判はできても自分が責任あって直接多大な影響を及ぼす範囲の問題には目先の欲を優先して手を出さない。「この物語はフィクションです」の範囲でしか正義をかざせない。説得力ってそういうところで筋を通さないと崩壊すると思うんだけど。現実はなかなか映画のようにはいきません。

そういう現実を私は生きさせられてしまっていて私のことは現在進行形で見殺しにされている状態でこういった映画を観ますと、どうやったって一線を引いてしまってその線は38度線のように私と何かを分断してしまっている。

私だって誰か助けて、と言いたいのだけどそうやって叫んだって誰も助けてくれない経験を重ねると叫ぶだけ徒労に終わって虚しく心身をすり減らすだけなのも知っているのでそんな声を出せなくなってしまいます。こういう話の作り手として煌めいているような人にその最後の希望を断ち切られてしまったらもう精魂尽き果てる。

せめて私みたいな人間をもう作り出さない社会にしたいなと諦めながらも思います。

でも本当はこんな状況から救ってほしい、誰かに助けてほしいです。もう叫ぶことはできないけども微かな小声を搾り出してそっと残しておきます。
ーcoyolyー

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