「もう愛していない。ひとかけらも」この言葉をどう捉えるかでまるで違う映画になるようです。僕は妻が夫から愛されていない、方で捉えました。数少ない夏子(深津絵里)が登場する冒頭シーン、長年連れ添ってきた夫への気持ちが完全に切れていたら髪なんて切ったりなんて僕はしないと思う。ダメな夫だけど好きで支えてきた、けどかなわなかった。送りたいけど送れなかった諦めの気持ちが夏子のメールの言葉だと思うのです。
幸夫(本木雅弘)は取り返しのつかない、有り得たであろう日々の喪失に気付き、永い言い訳をしていくことになるのですが、それってめちゃ辛いですね。自分も連れと結婚してから随分と経つので、赤の他人同士が長い年月を連れ添う難しさは痛いほど理解するし、人間なんて完璧なものではないことを理解しています。それでもお互い生きていれば間違いも正せるし、一度離れた心も再び結び合うことが出来るかもしれない。ただし、死んでしまったらそれが永遠に出来ない。それってとても辛いことなんはないかと思う。
西川美和監督はインタビューで、この作品は少なからず東日本大震災の影響を受けていると言っていました。震災のニュースなどで聞こえてくるエピソードは美談ばかりだけど、そこには実は見逃されている思いがあるんじゃないのか?修復出来ずに永遠の別れを迎えてしまった整理のつかない思いを描きたい!という思いでこの作品に臨んだそうです。
「人生は他者(無しでは生きていけない)」どうか利己的で不誠実で馬鹿な幸夫くんに人生を挽回する機会が訪れますように!そして、叶わなかった夏子との愛がいつの日か結実するような奇跡が訪れますように!とても独りよがりで身勝手な夢想なのは承知の上で、僕はそんなエンディングを望んでしまいました。