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セザンヌ
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『セザンヌ』に投稿された感想・評価

菩薩

菩薩の感想・評価

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画家が目の前の光景(風景、事象、色彩、光彩)を脳内で各々変換し、絵筆を介し布地無いし紙などに描き付ける物が絵画であり、作家が目の前の光景にカメラを向け、レンズを介しフィルムに焼き付ける物が映像なのだとしたら、では映像×絵画=映画となり得るのか、みたいな話の様な気がしたけど、たぶんそんな事は無く、そもそも観てる間ずっとオットー・ネーベルの色彩について考えていた浮気性の俺には、もはや何を言う資格も無いと思う…。ルノワール『ボヴァリー夫人』の引用は、映画におけるデッサンの提示…?な訳もないだろう…。
Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

3.0
「セザンヌ」

冒頭、大自然の郊外の描写。横移動するカメラ、遥か向こうの家々を撮影。芸術万歳、、モノクロ写真、色彩、物体、沈黙、調和、反響、知覚、テクスト。今、空想的対話からの引用が炸裂する…
本作はセザンヌの過激な絵画観に肉迫するストローブ=ユイレ監督の異色の記録映画2編とされており、この度DVDを購入して収録作品トータル4作品を同時鑑賞した。

とりわけ本作はジョアシャン・ギャスケが記憶の中で再構成したセザンヌの言葉に触発された2本の映画で、それは実物の絵画を直接撮影していると言う点では記録映画とも言えるが、セザンヌと言う人物の虚構化された言葉を劇的に再虚構化していると言う点では劇映画にも近いとされている様だ。


とりわけセザンヌの何点かの絵画とセザンヌが見たであろう風景のショットをジャン・ルノワールの映画やヘルダリンの未完の戯曲に基づいて監督たちが作り出している。

本作は冒頭にある山々や幹線道路を捉えて、後に1枚の老人の写ったモノクロームの写真を始めとする数枚を映し出し、そこから絵画に対しての説明が延々とされてゆく。そこには様々な文学強迫概念や分析が解説され、老婆の絵と共に2枚紹介された後に、モノクロの断片的なドラマ(映画)が始まる。

そしてカットが変わり、カラーの山の一角が映される。そして改めて写真の解説に戻る。


本作はどうやら当時、完成試写を見た人たちに上映を拒否されたらしい。ところで、このセザンヌと言う作品は構成台本を読むと色々と頭に入ってくる。第一にパノラマ(庭のマロニエ)そんでもってドニの撮ったポール・セザンヌの写真の解説が始まる物語なのだが、全文引用すると大変なのでやめとく。

この作品印象的なのが固定画面である。スザンヌが1898年の夏に居を構えたパリのエジェジップ=モロー街15番地にある芸術荘の正面の扉の描写は印象的に残るラストである。絵画が好きだったりそのての歴史好きな人にはたまらない映画だと思うが、長けているわけでもない自分的には色々と下調べが必要な映画だった。
停滞

停滞の感想・評価

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もし表現対象に貧弱な意図を介入させたりしたら自分の卑小さが浸透し失敗作になる。自らの意図を沈黙させねばならない。そのうちなる偏見を一切黙らせ忘れなければ、沈黙させ自然の反響に徹せば、知覚の感光板の上に風景全体が刻印される。

このセリフがこの映画について語り、彼らの主張・宣言でもある。リュミエールとメリエスの対比で言うなら完全に前者であり、自らの創造性を用いてつくるのでなく、映画という記録装置を用いて対象をフィルムに焼き付けんとする。

と言ってもこれは100%ではないですな。額縁に入った絵を映すカットではモノローグ以外に自然的な音が入っている。映像だけを見ればそこは静謐な空間が創造されてもおかしくないが、映像と音で観るものの頭の中に一つの時空間が創造される。だから何ってね。意味わかんねーよこれ。ほんと観ることと聴くことの訓練。