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OLの愛汁 ラブジュースの010101010101010のレビュー・感想・評価

OLの愛汁 ラブジュース(1999年製作の映画)
3.0
電車の空気感、淡い光、薄らと靄に包まれるような映画全体の色のトーン。
90年代日本映画の、胸がギュッとなる感じがいい。

「ずっと」とか、そういうことに冷めた若者。
「ずっと一緒にいようね」みたいなことは、どんな人間関係であれ面倒なだけだし、それは恋人ともそう。
そもそもそれは本当に恋人という関係だったのかすら、よく分からない。
そういう「契約」めいたものがイヤなのだから。
「永遠」なんてものはない。
すべて上っ面だけの関係が、ただただ移り変わってゆくだけが人生。
まさに、「終わりなき日常を生きろ」、というような90年代後半の空気だという気がするし、かくいう私(レビュワー本人)もまた、そういう種の人間だった気がする。
この無気力さ、冷めた感じ。時代だなぁと思う。

だからこそ、「ずっと」ではなく、「たまたま」「何となく気がつけば」ということに流されてゆく方が、自然な気がいている。
「ずっと」に執着すればするほど、傷つくだけ、エネルギーを消耗するだけなのは分かってる。そんなのはバカらしい。

彼は写真を撮る。
それは「ずっと」残したいからではなく、むしろ「たまたま」「なんとなく」刹那的な流れに身を任せていることの象徴としてある。

彼女は、気付いている。
この関係は「ずっと」続くものではないと。
「ずっと」続いてほしいけれど、そんなこと言えば、関係が終わることを早めるだけだと分かってるから余計に言い出すこともできない。
その二人の「距離」に、彼女がしずかに傷ついている感じも、丁寧に描かれている。(彼が中出しをしてくれなかった時の切なそうな表情)


繰り返すが、当方、この若い男とは同世代である自覚がある。
この冷めた、無気力な、なにものにも期待することなく、ただなんとなく目の前の日常を生きているだけ、という感覚。
これは一種の、処世術だったのだろうとも思う。
「ずっと」…と執着すること、期待することに、裏切られてしまうことから逃げているのだと思う。
そして、それは決して「世代論」で片付けられる話でもないんじゃなかろうか、という想いも、わずかながら、ある。
今の時代でも、そういった、リアリズムが空転してしまったような若者、いるんじゃないかな。
どうなのだろう。

そんなことを、つらつらと考えさせられる映画だった。
90年代後半、ピンク映画やAVの中には、隠れた名作がたくさんあったように思う。
AVなのに、射精することも忘れ、胸を打ち震わせ嗚咽しながら観た作品も幾つかある。
機会があれば、また観てみたいけれど、どこに行けば出会えるのだろうか…。


ちなみにこの映画、劇場版で「ここでキスして」が流れるのって、オープニングだったのか。
むしろエンディングで、同じ椎名林檎の「ギブス」が突然、「あなたは〜、すぐに〜、写真を撮りたが〜る〜」って始まったら、「おぉっ!」って思うよな、きっと…、と妄想。


2023.07.24 2度目の鑑賞