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かごの中の瞳のkuuのレビュー・感想・評価

かごの中の瞳(2016年製作の映画)
2.3
『かごの中の瞳』
原題 All I See Is You.
映倫区分 R15+.
製作年 2016年。上映時間 109分。

マーク・フォースター監督、テレビシリーズ『ゴシップガール』のブレイク・ライブリー主演によるサスペンス。
ジーナ役をライブリー、夫のジェームズ役をジェイソン・クラークがそれぞれ演じる。

夫のジェームズと赴任先のバンコクで幸せな結婚生活を送るジーナは、子どもの頃に遭った交通事故が原因で失明してしまったが、献身的な夫の支えで何不自由のない生活を送っていた。
ある時、医師のすすめで受けた角膜移植により片目の視力を取り戻した彼女は、心から喜ぶ一方で、初めて目にした夫の姿が夢想していた素敵な夫ではなく、地味で冴えない中年男だったという現実に直面する。
これまで眠っていた好奇心や冒険心が目覚め、流行りのファッションで着飾り、外の世界へと飛び出していくジーナ。
そんな妻にジェームズは疑念と嫉妬を感じるようになる。。。

今作品は個人的には、ストーリーが脆弱やと感じた。
明確に定義されたターゲット層を持つこともなく、首尾一貫したパッケージとしていかなる形でも提示しないという意味で、クリエイティブな誤算と云えるかな。
悪いのはお前だ!!
ドラマ映画として、今作品のメインストリームへの訴求力は明らかに遠く、実験的、前衛的とも云いにくい。
物語的には、ストーリーはゆるゆるゆ~ル、ペースも遅い。
特に序盤から映画に勢いがつかなかった。
明らかにメインストーリーの一部であるようなシーンが画面に映し出されないと、見ているものが小ネタに発展していくんか、それとも画面一杯の些細なことを描いただけのランダムなシーンなのかさえも確認できひん。
今作品に大いに期待して観たわけじゃないけどメインストーリーがこれほど薄い以上、物語的に重要でないシーンをランダムにフラッシュバックで挟むだけでは、興味を引きつけるには明らかに不十分なんちゃうかな。
いざストーリー展開していくと、オリジナリティに欠けるし、よく練られたプロットによる創造的なパンチもない。
これじゃ驚かせたり満足させたりすることはできにくいかな。
故に、クライマックスに差し掛かったときに緊張感がナッシング。
視覚的には、盲目の女性の世界観を表現するために、撮影者が必死になって印象派的なショットを多用してんのはエエねんけど、そのために気が散ってもた。
存分に私的に指摘するけど、これはやりすぎで、美しいというよりギミック的な全体的なルックを作り出してもうてる。
『盲目の女性が何らかの方法で視力を回復し、世界が自分の思った通りではないことを発見したら』
って見出し的アイデアそのものは斬新やけど、また、大いに可能性を秘めているのは分かる。
しかし、そのアイデアだけでは短編映画しか支えられないかな、うまくやれば非常に面白い15分位の短編になることは間違いない(云い過ぎかな)。
今作品はカップルの生活を応援する道徳的な寓話になるはずが、女は自活する女であれと説くマヤカシになりかけてる。
ジーナが再生手術を受けているとき、このプロットを推進する他の価値観に気づく。
失望、幻滅、高まる期待、そして何よりも、女性の権力への上昇。
最も信頼できない男性キャラは、ジーナが熱心に従う消費商品として美化される。
対照的に、最も信頼できるはずのパートナーは、不信感を抱き、人を操り、自分の欲望を満たすために計画的に置き去りにする。
これは、個人がいかに一般的にカップルを大切にしないか、人々がいかに誠意と親密さで失敗するか、いかに昇進と放棄で失敗するか、いかに利益と美学に焦点を当て、深いものを築くことを忘れているかを、説明するための驚くべきベースラインになり得たやろうか、残念ながら見始めて約1時間で、そこからすべてが下り坂になってた。
なんで此処まで男が嫌われなアカンねん。
苦悩、利己主義、残酷さという、どこか暗くて哀れな人生観から、このプロットは引き出されている。
そのために、脚本家は主人公の男性を、人生を楽しめない、負けず嫌いで、独占欲が強く、消極的で、内向的な人間として描き出す必要があったのは分かる。
しかし、女性も目が見える様になったらなったで、勝手な振る舞いが散見され、どちらも応援したくなくなったし、見終わったころには映画自体にも興味は失せてた。
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