静かな鳥

レディ・プレイヤー1の静かな鳥のレビュー・感想・評価

レディ・プレイヤー1(2018年製作の映画)
3.8
映画やアニメ、ゲームといったエンタメを愛する者たちに、そして何よりも今「現実」を生きる私たち全員に贈る、スピルバーグからのプレゼントのような映画。70歳を超えてもなお、このような作品を作れる彼は[オアシス]の創造者ジェームズ・ハリデーそのものだろう。

正直観る前は不安だったのだ。自分はアニメやゲームに疎く、映画も趣味として見始めるようになってからまだ日が浅い。予告編が公開されても「AKIRAのバイクが!」「ガンダムが!」みたいなリアクションは勿論取れなかった立場なので、果たして本作を楽しめるだろうか、本作は自分のような人間を受け入れてくれるのだろうか、と考えていた。
しかし、スピルバーグはそんな者でも[オアシス]へと導いてくれる。あまりにも膨大な情報量とドラッギーな世界観に魅了されるその場所では、年齢や性別や人種などに関係無く誰もが楽しめる。「エンタメ」というモノ自体がそうであるように。

誰一人として1回では見切れないほど作中に隠されたイースターエッグの数々も、自分はおそらく1/20ほどしか見つけられてないし、そもそも元ネタ自体を知らないのも多々ある。しかし、そのオマージュ元が分かる/分からないはこの際あまり関係ないのではないか。アイアン・ジャイアントのシルエットに、エレベーターから流れ出る血のプールに(このシークエンス、"らしい"悪趣味さが炸裂していて最高)、ガンダムvs.×××××の決戦(あのテーマ曲!)に心が燃え上がり「楽しい!」と思うこと、それこそが重要。いつの間にか人と人とを隔てる垣根は取り払われ、観客それぞれが「一(いち)プレイヤー」になっている。

チャッキーやゼメキスのキューブ、アイアンジャイアントの架ける橋etc. 私たちの心の支えになり幾度となく楽しませてくれたエンタメ内のキャラやギミックが、登場人物らを窮地から救う手助けになる。終盤、闘うために集まるアバターたちは、エンタメを愛する私たちそのものだ。そこには、(こういう言葉を使うと陳腐になるがあえて言おう)虚構というモノの持つ「力」が間違いなく宿っている。

物語単体はかなりベタな作りで、納得いかない部分も少しはある。第一関門の裏ルートへの行き方は、パーシヴァルより以前に誰かしら(意図的で無くとも)やっている人がいるはずだろうと思ってしまったし、ガンダムの最期も中途半端。また、冒頭[オアシス]説明の件でのアバターと実際の人物のギャップの描写や、棺に入ったハリデーに合わせて流れる「バッハのトッカータとフーガニ短調」の大味さも解せない。ヴァン・ヘイレンの「Jump」の流れるタイミングは予告編での盛り上がりに比べて…って感じだし、また別の予告で使われたa-haの「Take On Me」においては劇中でかからないし…(ハリデーの好きなMVとして曲名が出てくるのに!)

ただ、序盤のBGMなしで魅せるレースシーンで既に心を鷲掴みにされているので不満点もあまり気にならない。デロリアンをスライディングさせて、ゲームオーバーになったアバターの散らばったコインを取っていくカッコよさ! ストーリーもベタである事が「誰でも楽しめる」という作品のテーマと直結しているし、謎解きの愉しさはしっかり確保されている。ヤヌス・カミンスキーの美しく流れるような撮影は(『ペンタゴン・ペーパーズ』に比べて物足りなさが無くはないが)素晴らしいし、エンドロールの楽曲も"往年の"感があって好き。IOI社がオアシスの所有権を得る為に大量にアバターを送り込むのも妙にリアリティがある。悪役の小物感も悪くない。終盤のクライマックスでの[オアシス]と現実世界のクロスカッティングは、流石スピルバーグという感じ。
ハリデーを演じたマーク・ライランスはもともと好きな役者だが、今回も滲み出る優しさが素敵だった。過去のプレゼンの回想で聴衆に向かっての「椅子の下を見ても……何もないよ」とか可愛らしい。サイモン・ペッグは出てくれるだけで最高。

本作は「昔の作品は良かったよね」といった懐古主義から生まれた訳ではなく、エンタメの楽しさを過去から現在へ、現在から未来へ繋げていく為に作られたのだと感じる。クライマックスでの熱狂のように、エンタメによって人々が繋がっていく。その熱には悪役をも抗えず、ラストの銃を持つ手の動きを止めてしまう。好きなもので溢れた子ども部屋でゲームをする少年から始まった[オアシス]は、次の世代へと受け継がれていく。エンタメだから、虚構だからこそ出来ること。現実逃避としての虚構ではなく、「現在を生き抜く」のを支える役割としての虚構。そんなことをラストのハリデーは語りかけてくる。
さあ、準備はいいだろうか。次に「繋ぐ」役目を担うのは私たちだ。
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